かつて、広島東洋カープやメジャーリーグで活躍した、黒田博樹さん。
通称 男気 です!
今回は、そんな黒田投手を育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1975年〈昭和50年〉2月10日
身長体重:185kg/93kg
出身地 :大阪府大阪市
家族構成:妻、長女、次女
◆父親は元プロ・黒田一博
黒田博樹投手の父親は、かつてプロ野球で野手として活躍した、黒田一博(くろだ・かずひろ)さん。
父・一博さんは、1924年9月に長崎県で生まれています。
長崎県立佐世保商業学校を卒業後、軍役を経て、地元長崎の青木産業の軟式野球チームに入りました。
その後、社会人野球の強豪である八幡製鐵所を経て、1949年に南海ホークスに入団。
ホークス入団後間も無くレギュラーに定着し、1951年からのリーグ優勝3連覇に貢献しています。
そして、高橋ユニオンズ、大映スターズに移り、1956年で現役引退。
1958年、一博さんは大阪市で、スポーツ用品を取り扱う「黒田スポーツ」を開店しました。
また、平行してボーイズリーグ・オール住之江を設立して自ら監督に就任。
オール住之江では、黒田博樹投手をはじめ、川井貴志(かわい・たかし)選手や田上秀則(たのうえ・ひでのり)選手などのプロ野球選手が羽ばたいています。
左側が一博さんです(↓)
➡黒田博樹の親父が元プロ野球選手という事実 –https://t.co/MBVeYnMMjW
※コアなファンなら知っている黒田の父で元プロ野球選手の黒田一博。黒田親子以外にプロ野球入りした親子はどれくらいいるのか?#黒田博樹 #黒田一博 #親子 #carp #カープ pic.twitter.com/1YgXNRYI7L
— かーぷぶーん⊂( ●▲●)⊃ (@carp_buun) July 14, 2018
晩年、父・一博さんは肺ガンに侵されました。
黒田投手は、メジャー挑戦を1年先送りにし、父の闘病を支えるため、足しげく入院先の広島に通います。
そんな黒田投手の思いもむなしく、2007年8月17日、帰らぬ人となりました。
82年の人生でした。
◆母親の職業は?
黒田博樹投手のお母さんの名前は、黒田靖子さん。
母・靖子さんはかつて公立高校の体育教師をつとめ、1964年の東京オリンピックでは砲丸投げの代表候補になっています。
投手としてのDNAは、母親譲りのようですね( ゜Д゜;)!
黒田投手は甲子園の名門、上宮高等学校を卒業しています。
しかし、上宮の練習はきびしく、夏の炎天下、ひたすら走り続ける日々。
体力的にも限界を感じ始めていたとき、チームメイトのお母さんがこっそり連れ帰り、食事を与え、風呂に入れてくれました。
そのお母さんは、自宅にも連絡を入れてくれます。
博樹くん、うちで預かって、食事と風呂を取らせて、監督に気づかれないように朝までに合宿所に帰しますから。
すると、母・靖子さんはこう返しました。
ありがとうございます。でも結構です、タクシーでかまいませんので、すぐにでも合宿所に帰して走らせてください。
黒田投手は、今でもその時の驚きを忘れられないそうです。
なんて母親だ…
祖母が亡くなったときも、葬式が終わったらすぐお母さんに、
お前はすぐに学校へ帰って走ってこい!
と言われました。
大学進学の時は、
地元である関西の大学、そこで野球を楽しみながら続けよう…
と考える黒田投手に向かって
頼むから家から出てってくれ。
と言い放ちました。
困難に立ち向かえ、というメッセージ。
結果として、関東の専修大学に進んだ黒田投手は、スカウトの目に留まる存在となったのです。
恩人ともいえる最愛のお母さんは、2002年にガンで亡くなりました。
この年、2桁勝利を挙げた黒田投手は、報道陣の前で涙を流します。
精神的にきつかったし、どうしたらええのか分からんときもあった
両親をガンで失った黒田投手は、癌の研究や啓発を行う活動に、多額の寄付をしているそうです。
◆兄弟はいる?
黒田博樹投手には、お兄さんが一人います。
お兄さんはプロ選手ではありませんが、野球はやっていたかもしれませんね。
コメント
[…] 黒田博樹さんは大阪府大阪市住之江区出身で、上宮高等学校を卒業した後、専修大学に進学しました678。 […]