◆父親は元高校球児
板倉滉さんの父親は、高校時代はピッチャーとして野球に打ち込んでいました。[1]
そんなお父さんからは、滉さんが3歳の時にグローブを。
4歳で木製バットをプレゼントされます。
お父さんとの遊びは、キャッチボールとバッティングセンター。
ちょうど、平成の怪物・松坂大輔(まつざか・だいすけ)投手が横浜高校で活躍している時であり、
松坂のピッチングを目の前で滉に見せるんだ!
と言って、甲子園に連れて行かれたこともありました。

滉さんもボールを投げるのがうまく、お父さんは、
センスがある!
と喜んでいたそうです。
お父さんが目指したのは、イチロー選手を育てた上げたチチロー。

しかし…滉さんは、小学1年生の春、学校のサッカー大会で賞状をもらったことを機に、

おれ、サッカー入るわ
と、サッカーを始めてしまいました⚽️

お父さんの心中は、察するに余りありません…
そんなお父さんも、横浜へ引っ越して落ち込む息子のために、サッカーを応援するようになります。
お父さん自身もサッカースパイクを買い、サッカーの練習に付き添ってくれるようになったのでした。
◆母親は元バレーボール選手
板倉滉さんの母親の名前は、板倉奈保子さん。[2]
1969年頃の生まれになります。
母・奈保子さんは学生時代、バレーボール部で、垂直跳びは70cm近くを跳んでいました。
滉さんのジャンプ力は、母親ゆずりなのですね。
滉さんが小学生の時、奈保子さんは川崎フロンターレのホームページを何げなく見ていたことがあります。
すると偶然、下部組織にジュニア(小学生)を立ち上げるニュースを目にしました。
滉さんと、
受けるだけ、受けてみようか?
と話し合い、募集要項をよく読むと、応募の書類締め切りが「翌日必着」に。
奈保子さんは急いで書類を整え、フロンターレの事務所に持参しました。
滑り込みの応募でしたが無事にセレクションに合格し、フロンターレの1歩を踏み出したのでした。
コメント