2017年7月13日、中国の民主活動家、劉暁波(りゅうぎょうは)氏が亡くなりました。
今回は、そんな劉氏を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家
劉暁波氏は、中国・吉林省の長春市生まれ。
上山下郷運動が行われている間、ホルチン右翼前旗にいたこともありました。
「上山下郷運動」とは、若者を農村で働かせることで、「ホルチン右翼前旗」とは、モンゴル自治区内の行政区です。
運動終了後、吉林大学で中国文学を学んだ劉氏は、北京師範大学に進学。
1984年に修士号を取得し、北京師範大学で教職に就きました。
1989年に中国で民主化運動が始まると、コロンビア大学の客員研究者として米国にいた劉さんは即座に帰国し、民主化運動に身を投じます。
2008年、中国の大幅な民主化を求める「零八憲章」の主な起草者となり、中国当局に身柄を拘束。
2010年2月にも「国家政権転覆扇動罪」により懲役11年の判決が下され、遼寧省錦州市の錦州監獄で服役しました。
投獄中の2010年10月、ノーベル平和賞を受賞。
劉氏は、中国在住の中国人として初のノーベル賞受賞者となりました。
◆父親
劉暁波氏の父親は、ノーベル平和賞受賞の翌年、亡くなっています。
当時服役中であった劉氏は、父親の死後、異例の一時帰宅を許され、自宅で故人の死を偲びました。
死後7日目の法要は、中国文化で重視されており、家族たちが集まって故人を偲ぶ日となっています。
◆母親
劉暁波氏の母親に関する情報はありません。
◆兄弟
劉暁波氏には、少なくとも劉暁光氏、劉暁暄氏という兄弟がいます。
父親の葬儀時に、劉氏に同行できたのは、劉暁光氏だけだそうです。
弟の劉暁暄氏はメディアの取材に答え、
(劉暁波氏が)家でどのように過ごしたか、何日滞在したか、などの詳細について話すのに私は適当でない
と語りました。
その後、劉暁暄氏は、他の兄弟2人とともに、服役中の劉暁波氏に面会することができたそうです。
とても体調がよさそうに見えた
と、面会時の様子を話しています。
◆妻・劉霞さん
劉暁波氏は結婚しており、妻の名前は劉霞(リウシア)さんです。
年齢は今年(2017年)で56歳なので、劉氏より5歳年下でした。
劉霞さんは、ずっと自宅に軟禁された状態でした。
劉氏の死後、ティラーソン米国務長官は、
中国に対して劉氏の妻、劉霞氏を自宅軟禁から解放し、本人の希望通り中国からの出国を認めるよう求める
という声明を出しています。
◆子供はいるのか?
劉暁波さんの子供に関する情報はありません。
民主化運動でリスクの高い活動を続けてきているので、子供はもうけていないのかもしれません。
◆まとめ
天安門事件のリーダーの多くは、「病気療養」の名目で中国を離れています。
しかし劉暁波氏は出国せずに、天安門事件の殉難者の名誉回復と人権保障などの民主化を呼びかけ、投獄や強制労働を受けました。
このような活動を支えたのは、妻の劉霞さんを始め、劉氏の家族であったことは、想像に難くありません。
ノーベル平和賞は、劉氏とその家族の活動が、世界から認められた証なのでした。
故人のご冥福をお祈り申し上げます。
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