カーリング日本代表として3度の五輪出場を誇る、“マリリン”こと本橋麻里さん。
特技は耳の梱包です!
今回は、そんな本橋選手を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1986年〈昭和61年〉6月10日
身長/体重:160cm/58kg
血液型:A型 [1]
出身大学:日本体育大学体育学部
◆2012年に結婚…夫は一般男性
本橋麻里さんは、2012年5月3日、25歳の時に結婚しました。
夫はカーリング関係者ではなく、北海道出身の一般男性です。
夫との馴れ初めは、幼なじみの紹介。
すでにオリンピック出場を果たし、“マリリン”の愛称で有名でしたが、夫は麻里さんを知りませんでした。
携帯電話で検索してみせると、麻里さんに関する膨大な情報が出てきましたが、夫の反応は、
まじで?ウケるね
だけ。
移動はチームとは別の車で、DVDも出すほどの人気者だった麻里さんにとって、この反応は新鮮でした。
12歳からカーリング漬けで、カーリングが生活のすべてだった麻里さんに対し、
テレビを見ない人でも知っているテニスとかゴルフに比べたら、カーリングなんて全然だよ
と、夫はサラッとしています。
あるとき、試合に出られなかったことを嘆くと、夫からは、
だから(なに)?
とひと言。
しかし、夫はカーリングを軽く見ているのではなく、
もっと世界は広いよ
ということを教えてくれているのでした。
◆子供の名前は?
本橋麻里さんは、2015年10月19日に第1子となる男児を出産しました。
子供さんはブログに頻繁に登場しますが、名前や写真は非公開。
丸顔は私にそっくりで、笑ってしまいました
と話しているので、麻里さんに似ているのでしょう。
名前は“れん”君ではないかと言われています。
これは、平昌で銅メダルをとったカー娘たちが、テレビに向かって
れんちゃん、れんちゃん!
見てる?
と呼びかけたためです。
しかし実は、“れん”ちゃんとは、LS北見のチームトレーナーを務める、鈴木廉太郎さんのことでした。
この時、子供さんは平昌の会場にいましたから、テレビに向かって呼びかけるのも変ですね。
“マリリン”から“ママリン”になった本橋選手ですが、競技と子育ての両立は簡単ではありませんでした。
当然、夫も仕事を抱えており、海外遠征や急な練習が入るたびに、頭を抱えることになります。
しかし、
競技をやめるきっかけが、結婚や出産といった人生の幸せなターニングポイントなのは残念なこと
という信念と、周囲のサポートで何とか乗り切りました。
ここまで頑張れたのは、
いつか息子が壁にぶつかったとき、お母さんは頑張ったといえる姿を残したい
という思いがあるためです。
平昌五輪をスタンドから観戦した子供さんの脳裏には、チームの精神的支柱として活躍した母親の姿が焼き付いていることでしょう。
◆実家は旧常呂町
本橋麻里選手は、北海道の旧常呂(ところ)町(現北見市)の出身。
実家のまわりは大自然だったので、毎日外を駆け回って遊んでいました。
冬になるとみんなで雪山に登って追いかけっこをします。
ひたすら雪の斜面を登ったり、降りたり…
この経験が、カーリング人生を支える足腰の強さにつながったのでしょう。
◆父親と母親
本橋麻里選手の父親は、レスリングや柔道など、格闘技をやっていました。
お父さんはスピードスケートも得意だったそうで、本橋選手のスポーツのDNAは父親譲りかもしれません。
お母さんはあまりメディアに登場しませんが、トリノ五輪ではお母さんとお揃いのブレスで縁起かつぎをしています。
そんな本橋選手の尊敬する人物は、もちろん“お母さん”なのだそうです(*^_^*)
◆兄弟はいる?
本橋麻里選手は、3人兄弟の真ん中で、お姉さんと弟がいます。
幼い頃は、ずっと弟と外で遊んでいることが多い活発な子供だったそうです。
◆まとめ
本橋麻里選手が結成したLS北見は、平昌五輪で史上初の銅メダルを獲得します。
それは、本橋選手の、
カーリングのための人生じゃなく、人生の中のカーリング
という信念が勝利した瞬間でもありました。
3度目の五輪で獲得した銅メダルは、人生を共に歩む、夫と子供にも捧げられています。
◇編集後記
平昌五輪で一躍有名となったのが“もぐもぐタイム”。
カー娘たちは、バナナやイチゴのほかに焼き菓子を食べていて、注目を集めました。
その焼き菓子とはこちら。
カー娘の出身・北見市名物のチーズケーキです。
『全日本隠れたお土産お菓子-1グランプリ』にて優勝したこともあるのだとか(^_-)
◇脚注
- スポーツビズ 2022年2月19日確認 所属アスリート 本橋麻里
カー娘の家族!
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