ひゃくた・なおき【百田尚樹】
1956年〈昭和31年〉2月23日生まれの作家・放送作家・元テレビ構成作家。
◆実家・生い立ち
百田尚樹さんは大阪府大阪市出身。
高校は大阪府立北野高等学校を卒業し、その後、同志社大学法学部に進学しましたが中退されています。
学生時代から読書家として知られ、弁も立つタイプだった百田さんは、20代後半から放送作家として活動を始めます。
代表作のひとつが朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』で、立ち上げ時から構成を担当。
50歳で小説家デビューを果たし、2006年に発表した『永遠の0』が大ヒット。
以降はベストセラー作家として活躍し、政治的発言でも注目を集める存在となりました。[1]
◆父親
百田尚樹さんの父親の名前は公表されていませんが、大正13年〈1924年〉生まれです。
高等小学校を卒業後、昼は働きながら夜間中学に通うという勤勉な日々を送り、その後戦地に赴きました。
終戦後は大阪市の臨時職員として就職し、数年後に正規職員に昇格。
家族のために誠実に働き続けた人生でした。[2]
百田さんは父について

寡黙で厳格だったが、働く姿から学ぶことが多かった
と語っています。
父の背中から学んだ責任感と努力の精神が、百田さん自身の礎となっているようです。
◆母親
百田尚樹さんの母親は、大正15年〈1926年〉生まれ。
2025年1月27日、享年98歳で亡くなられました。[3]
戦争の只中で青春時代を過ごし、戦後の混乱期には貧しい暮らしのなかで子育てをされた方です。
百田さんは母への感謝を

母ちゃん、ほんまにありがとう

どれだけ母を泣かしたかわからない
と述べています。
晩年には「いい子を持った」と語ってくれたことを、百田さんは何よりも嬉しかったと振り返っています。[3]
◆妹
百田尚樹さんには妹が1人います。
一般人のため詳細は非公表ですが、百田さんを支えてきた存在のひとりです。
◆妻
百田尚樹さんの奥さまは、家庭内では「もっとも厳しい批評家」として知られ、百田さんの執筆や発言にも辛口な意見を率直に述べる存在です。
百田さん自身も

妻の評価がいちばん怖い
と語っており、まさに“家庭内編集長”のような存在といえるでしょう。[5]
また恐妻家としても知られ、妻の命令で

もう何年も一人で電車に乗っていない
と明かしています。
理由は

マナーの悪い乗客にキレてしまいそうだから
とのこと。
さらに、過去に奥さまが「一過性全健忘」を発症したことを不用意にツイートし、大目玉を食らったエピソードも披露されています。[6]
◆息子
百田尚樹さんには息子さんが1人います。
2020年9月21日にはYouTube「百田尚樹チャンネル」第192回にゲスト出演し、父との親子対談を披露しました。
互いに冗談を飛ばし合いながらも、真面目な仕事の話にも踏み込み、視聴者からは「理想的な親子関係」と評されました。[7]
また、2025年3月には、息子さんが経営していた麻雀店の運営権を譲渡したことが報道されました。
背景には、アンチによる迷惑行為があり、百田さんや家族に迷惑をかけたくないとの思いから、自ら手を引く決断をされたとのことです。
百田さんは

私のために夢を捨ててくれた
と胸を打つ言葉を残しており、息子への深い信頼と感謝の気持ちが感じられます。[8]
◆娘
百田尚樹さんには娘さんもいらっしゃいますが、詳細は非公開です。
今後、どこかで親子共演の機会があるかもしれませんね。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、百田尚樹さんの活躍の陰には、堅実な父、献身的な母、信頼する妹、そして厳しくも支えてくれる妻と子どもたちの存在がありました。
家族の応援を胸に、百田さんの挑戦はこれからも続いていきます(^o^)丿
◇出典
- Wikipedia 百田尚樹
- 産経新聞 2013年5月22日 作家・百田尚樹(3)「自己実現」のために仕事 勘違い
- スポニチアネックス 2025年1月27日 百田尚樹氏 最愛の母が死去「母ちゃん、ほんまにありがとう」「どれだけ母を泣かしたか…」
- X(旧Twitter) 2024年11月27日 百田尚樹(作家/日本保守党代表)
- AERA dot. 2016年3月1日 百田尚樹「妻は一番の批評家」
- 東スポWEB 2019年4月5日 恐妻家の百田尚樹氏「妻の命令で、もう何年も一人で電車に乗っていない」理由
- YouTube 2020年9月21日配信 百田尚樹チャンネル生放送 第192回 ゲスト:息子
- 日刊スポーツ 2025年3月18日 百田尚樹氏、息子が麻雀の経営権手放したと発表 迷惑行為したとされる女性が反論、証拠動画公開
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