2015年のサッカー女子ワールドカップでは、なでしこジャパンの快進撃が続き、佐々木則夫監督にも注目が集まっています。
今回は、そんな佐々木監督を育み、そして支え合う家族にスポットを当て、ご紹介したいと思います。
◆娘の手紙?
まずは、佐々木則夫監督の最愛の娘・佐々木千尋さんです。
千尋さんは、埼玉県出身で、1984年7月4日生まれの現在30歳。
小学校3年生の時、埼玉県熊谷市の江南南サッカー少年団でサッカーを始め、中学・高校までサッカーを続けました。
ちなみに日本代表FWの原口元気選手は、江南南サッカー少年団の後輩に当たります。
娘・千尋さんは、高校卒業後に英ロンドンに留学。
現在は語学力とサッカーの経験を生かし、都内で外国人向けサッカー教室運営などを行う会社に勤務しています。
佐々木監督が女子日本代表のコーチを引き受ける時、「自分が女子を指導できるのか?」という逡巡がありました。
しかし、千尋さんの「パパならできるよ」の一言で、コーチ就任を承諾します。
娘・千尋さんは、自身がサッカーをやっていた時代、たまに指導を受けた父の姿と女子部員達の評判を知っていました。
当時から、練習中にも「笑い」を入れて、楽しくサッカーを教える佐々木監督は、女子部員から、なかなかの評判だったのです。
そんな千尋さんが、ロンドン五輪へ挑む父へ宛てた手紙をご紹介します。
オリンピックへいよいよ出発だね。
なでしこJAPANの選手のみんな、スタッフ全員が無事、ケガなく最高の大会に出来るように、しっかり監督力発揮してね。
応援しているよ!
W杯の時のようにみんなが笑顔で帰国出来ますように。
一番やさしくて、おもしろくて世界一のお父さん/パパ
(またの名をなでしこJAPANカントク)
頑張ってね。
大好きだよ~ ちひろ
◆妻は重病?
佐々木則夫監督の妻・淳子さんは、佐々木監督と同い年で、二人はとても仲の良い夫婦として知られています。
しかし、1985年、妻・淳子さんは突如、脳炎を患い、入院します。
「高い確率で命にかかわる」と言われる病状で、しかも当時は妊娠中でした。
佐々木監督は、電電関東(後のNTT関東)で現役選手としてプレーしていましたが、淳子さんを「全力で守る」ため、一時サッカーを離れます。
《引用元:佐々木則夫オフィシャルWEBサイト》
「サッカーをやめて、普通のサラリーマンに戻ろう」と考えた佐々木監督。
妻・淳子さんは「私のための人生じゃない。あなたの人生でしょ。あなたは大好きなサッカー、やめないで」と訴えます。
その言葉をきっかけに、佐々木監督は2年近いブランクを経てピッチに戻り、そして指導者の道に入りました。
2006年、サッカー日本女子代表コーチの要請を受けて、24年間勤めたNTT関東を辞職した時、年収が格段に下がりました。
しかしこの時も、妻・淳子さんは嫌な顔一つせず、即座に了承したそうです。
◆そして父と母の教え?
佐々木則夫監督のお父さんとお母さんは山形の人で、お父さんは山形の農家の長男でした。
お父さんは柔道の黒帯で、お祭りの相撲大会でも強く、それでいて優しくて、酒も飲まない、寡黙な人だったそうです。
しかし、佐々木監督が小学2年のとき、両親が土木建築業者として東京で独立したため、一家は東京へ引っ越し、埼玉県などを転々としました。
お父さんは勉強もスポーツも進路も、何も言わない人でしたが、たまに仕事を手伝っていた佐々木監督は、お父さんの背中を見ていました。
その姿は、「部下のミスは率先して解決する」「従業員とケンカしたチンピラが怒鳴り込んできても、俺が責任者だと前に立つ」というものでした。
ばか正直で、元請けや従業員にだまされたこともあるけど、行動に重みがあったその姿を、佐々木監督はしっかりと見ていました。
なでしこジャパンのリーダーとして、選手への批判を一身に引き受ける佐々木監督の行動は、お父さんに学んだものだったのです。
お父さんは、2008年のフランス遠征中に亡くなりました。
◆まとめ
やはり、素晴らしい指導者には、素晴らしい家族の支えがあることがよく分かります。
素晴らしい家族の支えを背に受けて、佐々木監督は、なでしこジャパンは、前人未踏のワールドカップ連覇へ挑みます!
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