オリックス・バファローズに所属する、富山凌雅選手。
14人兄弟の上から6番目です!
今回は、そんな富山さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1997年〈平成9年〉5月3日
身長体重:178cm/84kg
血液型 :AB型 [1]
出身地 :和歌山県御坊市
◆実家・生い立ち
富山凌雅さんは、和歌山県御坊(ごぼう)市の出身。
小学1年生の時、御坊少年野球クラブに入り野球を始めました。
小学5年生から硬式野球に転向し、御坊市立御坊中学校時代まで御坊ボーイズ/ジュニアタイガースに所属。
中学3年生時には、日中友好親善野球大会の日本代表メンバーに選ばれています。
高校は福岡県の強豪、九州国際大学付属高等学校へ進学。
高校2年の時に出場した夏の甲子園大会では、初戦で東海大学付属第四高等学校に敗北しました。
高校3年で、夏の甲子園に2年連続出場を決めると、準々決勝へ進出。
清宮幸太郎(きよみや・こうたろう)選手を擁する早稲田実業高等学校に敗れたものの、ベスト8の戦績を残しています。
◆離婚した父親は?
富山凌雅投手の両親は、小学4年生の時に離婚しています。
凌雅さんはお母さんに引き取られたため、お父さんの情報は、ほとんど目にする事がありません。
なぜ、14人もの子供と離れる道を選んだのか、なぜ、末っ子が生まれてわずか3ヶ月で離婚しなければならなかったのか、疑問に思う人も多いでしょう。
しかし、当然の事ながら、それぞれの家庭にはそれぞれの事情がある事であります。
現在でも、富山選手の活躍と家族の健康を、遠くからから願っている事でしょう。
◆母親の職業は?
富山凌雅投手の母親の名前は、美薫(みか)さん。
1969年頃の生まれになります。
お母さんは、富山選手が小4の時に末っ子を生み、その3ヶ月後に離婚。
その後は女手一つで14人の子供たちを養ってきました。
職業は、飲食業などの仕事を掛け持ちしてきたそうですが、家計は楽ではありませんでした。
富山選手が強豪高校への進学を熱望した時も、経済的な理由でお母さんは反対します。
それでも富山投手は、
野球をうまくなってプロに行くから
と大家族の前で宣言し、悲壮な覚悟にみんなが背中を押してくれたのでした。
和歌山を離れ、福岡県での寮生活が始まると、お母さんは月10万円の仕送りを欠かさず続けてくれます。
富山選手は寮生活がつらく、
やめたい…
と思った時期もあったそうですが、母の苦労を思うと口には出せず、歯を食いしばって頑張ってきました。
背番号13だった2014年夏、富山選手は初戦の東海大四戦に先発し、3回途中3失点でKO。
チームも敗北を喫します。
ベンチで悔し涙を流した富山選手に、母・美薫さんは、
“泣いてるままで終わったらあかんよ”
と激励。
富山選手は、
待っとけや。来年は俺がエースでここに戻ってやる
と返事を送ります。
それから1年後の夏の大会。
富山選手は、見事に背番号「1」をつけて甲子園の舞台へ戻ったのでした。
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