東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手、内川聖一さん。
あだ名は「安打製造機」です!
今回は、そんな内川選手を育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1982年〈昭和57年〉8月4日
身 長:184cm
血液型 :B型
家族構成:妻、長女、長男、次男
◆実家は大分
内川聖一選手の実家は、大分県大分市。
大分市立松岡小学校2年の時に本格的に野球を始め、大分市立大東中学校の時もクラブチームでプレーしました。
小学校、中学校でつけていた背番号は「24」。
内川選手は、背番号「24」に愛着があり、現在の「1」に代わるまでは、ホークスやWBCでも「24」を背負っています。
高校は、父親が監督を務める大分県立大分工業高等学校へ進学しました。
甲子園を目指し、希望に燃えた野球人生でしたが、ここで早くも躓きを覚えます。
骨嚢腫(こつのうしゅ)――。
それは、かかとの骨に穴があき、液体がたまる病気でした。
内川選手は病気治療のため、高校1年の9月から3度の手術を受け、12月まで入院。
その後もリハビリで、復帰まで丸1年を要しました。
しかし、内川選手は足を固定され、寝たきりとなったベッドの上で
野球ができるってすごいことなんだ…
と気がつきます。
2年夏で復帰した内川選手は、他の選手の半分もグラウンドに立てないハンディを跳ね返し、通算43本の本塁打を記録しました。
3年夏の高校野球大分予選には遊撃手として出場。
しかしチームは惜しくも決勝で敗れ、甲子園出場の夢は果たせていません。
◆父親は情報科学高校野球部の監督
内川聖一選手のお父さんの名前は、内川一寛(うちかわ・いっかん)さん。
1957年頃の生まれになります。
父・一寛さんは、大分県竹田市の出身で、大分県立鶴崎工業高等学校から法政大学、実業団へと進み、内野手として活躍。
現役を引退すると大分県立国東(くにさき)高等学校で監督業を始め、1993年には大分工高を甲子園に導きました。
内川選手が大分工高3年生時、主将として迎えた大分県大会では、決勝で敗れましたが準優勝に輝いています。
内川選手の高校卒業後の進路は、家族で話し合い、父と同じ法政大学への進学を決めていました。
しかし、横浜からドラフト1位指名を受け、気持ちは大きく揺らぎます。
その時、父・一寛さんは、プロとしてのメリット・デメリット、そして大学進学のメリット・デメリットを話し、
その中から自分が後悔しないように、最終的に選ぶのはおまえだ!
と言ってくれたのです。
その言葉に押され、内川選手はプロの道を選んだのでした。
父・一寛さんは現在、強豪である大分高等学校野球部の監督を務めています。
◆元CAの母親
内川聖一選手のお母さんの名前は、内川和美(うちかわ・かずみ)さん。
年齢は、お父さんより1歳年下になります。
母・和美さんも大分県竹田市の出身ですが、以前はJALのCA(キャビンアテンダント)として働いていたのだとか。
きっと、お綺麗な方なのでしょう(*^^*)
実は内川選手は、プロ入り後数年、伸び悩んでいた時期がありました。
2007年のオフ、大分の実家に帰った内川選手は、母・和美さんに告げます。
オレ、来年ダメなら野球やめようと思う
しかし、母から返ってきた言葉は、予想外のものでした。
あっ、そう。いいんじゃないの。好きで始めた野球を、そんなに嫌いになってまで続ける必要はないんじゃない。やること全部やってダメだったら、もう大分に帰ってきなさいよ
実は、内川選手は
もうちょっと頑張りなさい
という、励ましの言葉を期待していたのでした。
母親のおかげで自分の甘さに気がついた内川選手は、翌年、フォームの改造に成功し、3割7分8厘で首位打者に輝きます。
今の内川選手があるのは、美しくて厳しい、お母さんのおかげなのでした。
◆弟の妻は後藤なぎさアナ
内川聖一選手には、1歳年下の弟がいて、名前は内川洋平さん。
弟の洋平さんも野球をやっており、大分工高を経て東海大学でプレーしました。
大学卒業後は地元の大分放送(OBS)に入社しており、現在は東京支社に所属しています。
ちなみに、洋平さんの奥さんは、同じくOBSの後藤なぎさアナウンサー。
洋平さんは背が高くてイケメンらしいので、美男美女の夫婦で羨ましいですね。
コメント
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