2015年10月31日、作家の佐木隆三さんが、入院先の北九州市内の病院で亡くなりました。
享年78歳。
今回は、在りし日の佐木さんを取り囲んだ『家族』にスポットを当てご紹介します。
◆父
佐木隆三さんのお父さんの名前は、弥一さん。
お父さんは、広島県の出身で、農家の長男でしたが、昭和の初めに「一旗あげるために」、田畑を売り払って朝鮮に渡りました。
1941年、佐木さんが4歳の時、銀山の所長をしていたお父さんが呉の海軍に召集されたため、一家は帰国します。
1944年7月、上等兵曹となったお父さんは、フィリピンのミンダナオ島ザンボアンガで戦死しました。
◆母
佐木隆三さんのお母さんの名前は、ステさん。
お母さんは福岡県の生まれで、小学校を卒業すると紡績女工になりました。
広島出身のお父さんと、どのような経緯で結婚したのかは分かりませんが、植民地朝鮮では裕福に暮らし、両親にとっては輝ける時代だったそうです。
お父さんが海軍に召集されたため、広島に引き揚げますが困窮し、1950年には農村での生活をあきらめて、お母さんの親戚が居る八幡(現・北九州市)へ移りました。
1972年、佐木さんは沖縄で誤認逮捕されますが、この時お母さんから、「新聞に載って初めて沖縄に居ることを知りました」という手紙が送ってきたそうです。
◆兄二人
佐木隆三さんには、お兄さんが二人います。
兄の一人は、北九州市八幡西区に住む作家の深田俊祐さん。
佐木さんの訃報に接し、次のようにコメントしています。
兄弟というより文学仲間という感じで、同人誌の誌面づくりを巡ってけんかをすることが何度もありました。
晩年は『酔っぱらいじいさん』でしたが、4人の子どもたちに見守られながら最期を迎えることができ、思い残すことは何もないと思います。
◆姉一人
佐木隆三さんには、お姉さんが一人いますが、詳細は分かりません。
◆嫁(初婚)
1960年秋、23歳の時に、同僚の八幡製鉄所勤務の永末和子さんと結婚しました。
和子さんとは、2人の男の子をもうけましたが、 1971年5月、34歳の時に協議離婚が成立しています。
◆長男
1961年11月、佐木さんが24歳の時、長男・小先隆三さんが誕生しました。
佐木さんの葬儀では、喪主を務められます。
◆次男
1965年3月、佐木さんが28歳の時、次男・小先一文さんが誕生しました。
◆嫁(再婚)
佐木隆三さんは、1971年10月、離婚から5ヶ月後に、沖縄国際大在学中の学生・真玉橋光子さんと再婚しました。
光子さんは石垣市出身。
佐木さんが沖縄の本土復帰取材に通っていた頃、まだ20歳の教育実習生だった光子さんと出会い、周囲の反対を押し切る形で再婚したのでした。
大恋愛の末、結ばれた2人でしたが、佐木さんが還暦を迎えるころに、2人の関係は変化していきます。
佐木さんは、「60歳過ぎたら故郷で暮らしたい」と、九州に移住を決めます。
しかし、光子さんは「東京のあなたと結婚したのであって、九州の人と結婚したつもりはない」と反発します。
そうは言いながらも、光子さんは小倉(北九州市)のマンションに住民票を移し、北九州市立文学館の館長を務める佐木さんの妻として振る舞ってくれました。
しかし、佐木さんがさらに門司の山荘に移り住むと、毎日海を眺めるか、畑をいじるか、酒を飲むかしかないという生活に嫌気がさしてしまいます。
2011年、佐木さんが74歳の時、光子さんとの協議離婚が成立しました。
◆長女
1972年9月、佐木さんが35歳の時、長女・ふき子さんが誕生しました。
◆三男
1974年1月、佐木さんが37歳の時、三男・章三さんが誕生しました。
◆まとめ
佐木さんは、40年連れ添った光子さんとの離婚について、次のように語っています。
彼女は私より13年下なので、あまり歳を取らないうちに別れられて良かったと思ってくれているんじゃないですか(笑い)
何とも愛情に包まれた言葉じゃないですか?
2人は、書類上は離婚はしても、心は夫婦のままだったのかもしれませんね!
ご冥福をお祈りいたします。
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