自由民主党に所属する衆議院議員、岩屋毅さん。
今回は、そんな岩屋さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1957年8月24日
年齢:61歳 ※2018年12月現在
最終学歴:早稲田大学政治経済学部
◆待望の息子
岩屋毅さんには、息子さんがいます。
名前は岩屋大志郎(いわや・たいしろう)さん。
上の2人が続けて女の子だったので、
“もう男は生まれないのか…女腹なのかな…”
と諦めかかっていたときに生まれた、待望の息子さんでした。
そのため、特に母親に溺愛されて育った息子さん。
“たいちゃん、たいちゃん”
と呼ばれ、結構な年齢まで一緒に寝ていたと言いますから、岩屋さんも2人の姉も飽きれるものがありました。
ちなみに息子さんは、別府市立青山小学校時代に「第一回べっぷ子ども市議会」に参加。
堂々と一般質問をこなし、政治家としての素質を感じさせています。
◆息子さんの高校は?
息子さんが中学校3年生になり、
“このままでは「大志郎」どころか「小志郎」になってしまうのではないか”
と心配した岩屋さん。
「可愛い子には旅をさせろ」とばかり、全寮制の高校へ進学させることを思い立ちます。
入学したのは「佐賀県にある私立で全寮制の高校」と説明されていますが、息子さんは弘学館高校の出身のようですね。
弘学館は佐賀県トップクラスの全寮制進学校で、医学部への進学率が高いことで知られています。
ちなみに奥さんは、息子さんが家を離れることが決まったとき、さめざめと泣いていたのだそうです(T_T)
◆息子さんは獣医師の道へ
岩屋毅さんの息子さんは、高校を卒業後、麻布大学の獣医学部へ進学しています。
そして現在は獣医師となり、東京都町田市の「のづた動物病院」へ勤務。
ちなみに岩屋さんは、子供の頃から、
- 秋田犬
- スピッツ
- チン
- ボクサー
- ドーベルマン
を飼っているので、息子さんも動物に囲まれて育ったのでしょう。
そういえば岩屋さんは「犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟」にも名を連ねていましたね。
息子さんの画像は、のづた動物病院の公式サイトで確認できます。
眉毛が太くて濃い系の顔立ちは、岩屋さんそっくりですね(^^)
◆2人の娘の大学は?
岩屋毅さんには、前述のとおり2人の娘がいます。
岩屋さんのエッセイでは
“それぞれミッション系のそこそこの規模の学校を選んで進学している”
と話されていますが、次女の大学は「ペギー葉山さんと同じ」ということなので、青山学院大学ですね。
長女はドイツ文学を専攻しているので、上智大学ではないかと思われます。
娘さんたちの大学時代には、一緒に赤坂の議員宿舎に住んでいました。
同僚からは
“今時、親父と一緒に住んでくれる娘なんかおらんぜ。それも二人だからな”
と羨ましがられたそうですが、
“とにかく、下宿代を浮かせよう”
と奥さんが秘密裏に進めてきた作戦に、娘たちがまんまとひっかかったというのが真相なのだそうです(^_^;)
◆薬剤師の妻
岩屋毅さんの奥様は、薬剤師。
そのため、岩屋さんが痛風で苦しんだときには、
“ほらみてごらんなさい。パパはだいたい、好きなものばかり食べ過ぎるのよ!最近はお酒もよく飲むし!いい機会だわ。反省しなさい!”
と、医療従事者らしく厳しい対応であったのだとか(^_^;)
そんな奥様との馴れ初めは分かりませんが、
“車で5分のところから嫁(家内)をもらった”
ということなので、同級生や幼なじみなのかもしれませんね。
近場同士で結婚したせいか、岩屋さんも奥さまも「国際結婚」に並々ならぬ関心があるのだとか。
岩屋さんと奥さまは
“来世ではイタリア人とロシア人に生まれ変わってまた逢おう”
と誓い合っているそうです。
ちなみに、岩屋さんがイタリア人、奥さまがロシア人という設定です(^_-)
◆医師と政治家を務めた父
岩屋毅さんの父親の名前は、岩屋啓さんです。
父・啓さんは、鹿児島医学専門学校を卒業し、九州大学の医局に務めた医師。
医者を志したのは、啓さんが子供の頃病弱で、祖父から
“体の弱い子を長生きさせるために、おまえは医者になれ”
と、勧められたことがきっかけでした。
父・啓さんは医者を務めながら大分県議会議員として活躍しましたが、3度目の選挙で落選。
当時、早稲田大学2年生だった岩屋さんは、必死で手伝った選挙で力になれなかったことにショックを覚えます。
そして大学に戻ると「早稲田大学雄弁会」の門をたたき、選挙のアルバイトに明け暮れる生活を送ることとなりました。
そして、大学卒業と同時に鳩山邦夫(はとやま・くにお)代議士の秘書となり、本格的に政界のキャリアをスタートさせたのです。
◆結核を患った母
岩屋毅さんの母親の名前は、登美恵さん。
実は母・登美恵さんは少女時代に結核を患っており、両親の馴れ初めは医師と患者として出会ったことでした。
しかし、登美恵さんの病気の為か、双方の親から反対された2人の関係はなかなか進展しません。
そんな折、父・啓さんは島根県津和野町にある病院へ派遣されます。
登美恵さんには別の縁談話が持ち上がり、登美恵さんは父・啓さんに手紙を書きました。
“お見合いをした方と結婚します”
その手紙を受け取った啓さんは、すぐさま電報を返します。
“ソノ ケッコン チョット マッタ”
電報を手にした登美恵さんは、婚約破棄を決意。
親戚のおばさんにお金を借り、夜行列車に飛び乗り、2人は無事に津和野で再会を果たしたのでした。
◆まとめ
岩屋毅さんの父・啓さんは、59歳で亡くなりました。
折しも父親が亡くなったのは、岩屋さんの初めての衆議院選の真っ只中。
父の葬儀は、父の関係者はもちろん、隠れていた岩屋さんの支援者が一挙に集結し、気勢を上げない「決起集会」となりました。
そして岩屋さんは、弔い合戦を制します。
岩屋さんは思いました。
“病床にあって思うように加勢ができない自分にできることは何か、と終始考えつづけてくれていたに違いない。そして、もっとも意味がある時を選んで父は逝った”
今でもお父さんは、岩屋さんを、残された家族を、見守り続けてくれていることでしょう:。*゜+ ゚・。*
◇編集後記
岩屋毅さんの、IRに関する著書をご紹介します。
IRは単なるカジノではなく、不採算になりやすい国際展示場を「活性化させる切り札」という主張ですね。
しかし後にIRは、岩屋氏の足元を揺るがしかねない問題へと発展していきます(^_-)
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