自由民主党に所属する国会議員、細田博之さん。

趣味はコントラクトブリッジです!
今回は、そんな細田さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1944年〈昭和19年〉4月5日
出身地 :島根県松江市
出身大学:東京大学法学部
家族構成:妻、息子、娘
◆祖父から連なる政治家の家系図
細田裕之さんは、島根県松江市の出身。
実家の細田家は、戦国時代に毛利氏と中国地方の覇権を争った尼子一族の武将・小笠原家の家臣でした。
一旦帰農後、商業へ進出し回船問屋として成功しましたが、明治維新で没落し倒産。
やむなく松江に出て、今度は油屋を開き、豪商の域にまでのし上がっています。
そんな細田家の長男として生まれた裕之さんは、
- 筑波大学附属駒場中学校
- 筑波大学附属駒場高等学校
- 東京大学法学部
を、それぞれ卒業しました。[1]
日本銀行の黒田東彦(くろだ・はるひこ)総裁や、国際協力銀行の近藤章(こんどう・あきら)総裁は、中学から大学までの同級生です。

大学卒業後は通商産業省へ入省し、1986年に退官。
1990年の衆議院選挙に島根県全県区から立候補し、初当選を果たしました。
元々政治家の家系で、母方の祖父は元衆議院議員の升田憲元(ますだ・のりもと)さん。
父親も自由民主党所属の国会議員として活躍した人物です。
◆父・細田吉蔵
細田博之さんの父親の名前は、細田吉蔵さんです。[2]
生年月日:1912年〈明治45年〉5月2日
没年月日:2007年〈平成19年〉2月11日
出身地 :島根県松江市
出身大学:東京帝国大学法学部
父・吉蔵さんも、島根県松江市の出身。
旧制松江高等学校を出て、東京帝国大学法学部へ進みました。
卒業後は鉄道省へ入省し、1960年に退官。
1962年の衆議院議員選挙で当選し、国政の道を歩きました。
自由民主党に所属し、運輸大臣や総務会長など、要職を歴任。
1990年、博之さんに地盤を譲り渡し、政界から引退しました。
2007年2月11日、急性心筋梗塞のため、94歳で亡くなっています。
◆母親
細田博之さんの母親の名前は、静子さん。[3]
元衆議院議員・升田憲元さんの六女に当たります。
母・静子さんは、2006年10月28日、肺炎のため89歳で亡くなっています。
◆妹
細田博之さんは2人きょうだいの長男で、妹が1人います。[4]
名前は、道子さんです。[5]
◆妻・洋さん
細田博之さんの奥さまの名前は、細田洋(ほそだ・ひろ)さん。[6]
神戸製鋼所の常務取締役をつとめた、加藤昌一さんの娘さんです。
洋さんは、2022年2月1日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため、76歳で亡くなっています。
◆息子と娘
細田博之さんには、息子と娘がいます。[4]
息子さんは当然、後継者として期待がかかりますが、現在のところ、政治活動や秘書などはつとめていないようです。
◆まとめ
これまで見てきた通り、細田博之さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族への思いを胸に、細田さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- Sankei Biz 2016年10月17日 【リーダーの素顔】国際協力銀行 多彩な経歴、国際金融の荒波に挑む
- 週刊文春 2022年5月26日 「給料月100万しか」発言 細田博之衆院議長が36万円不記載 政治資金規正法違反の疑い
- 毎日新聞 2006年10月31日 <訃報>細田静子さん89歳=細田博之自民党衆院議員の母
- Wikipedia 2022年6月4日確認 細田博之 家族・親族
- Wikipedia 2022年6月4日確認 細田吉蔵 家族・親族
- 日本経済新聞 2022年2月9日 細田洋さんが死去 細田博之衆院議長の妻
コメント