自由民主党に所属する衆議院議員、竹下亘さん。
北川景子と親戚です💛
今回は、そんな竹下さんの華麗なる家系図をご紹介します。
◆実家“竹下家”の家系図
竹下亘さんは、島根県飯石郡掛合(かけや)町(のちの雲南市)の出身。
地元の雲南市立掛合小学校、出雲市立第一中学校を卒業しました。
高校からは上京して、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学を卒業しています。
実家の“竹下家”は300年続く旧家。
江戸時代には庄屋を務めました。
江戸後期に当たる1866年(慶応2年)からは、造り酒屋『竹下本店』を営んでいます。[2]
竹下さんの父の代からの家系図は、このようになります。
それでは、ご両親から見ていきましょう。
◆政治を好む父
竹下亘さんの父親の名前は、竹下勇造(たけした・ゆうぞう)さん。
1900年(明治33年)6月25日に島根県簸川郡今市町(現在の出雲市)で生まれ、元々の名前は武永勇造さんでした。
養子として竹下家に入ると、旧制松江中学を経て、早稲田大学専政科(現政治経済学部)卒業しています。
勇造さんは、家業の酒屋を継ぎますが、商売は夫人や番頭に任せきりで、政治談議を好みました。
自らも掛合村の名誉村長、翼賛会の役員をつとめ、のちに島根県会議員も務めています。
◆後妻の母
父・勇造さんは、唯子さんという女性と結婚しましたが、唯子さんは1945年3月24日に41歳の若さで亡くなっています。
同年12月に勇造さんは恕子さんと再婚。
勇造さんと恕子さんの間に生まれた最初の子が、竹下亘さんでした。
◆竹下登は異母兄
竹下亘さんのお兄さんは、第74代内閣総理大臣をつとめた、竹下登(たけした・のぼる)さんです。
登さんは1924年(大正13年)2月26日生まれなので、亘さんより22歳年上になります。
登さんの実母は唯子さんなので、亘さんとは異母兄弟ということになりますね
竹下登さんは、島根県飯石郡掛合村で生まれ、旧制島根県立松江中学校を卒業後、第一早稲田高等学院に入学。
戦争中は陸軍に身を投じましたが、戦後は早稲田大学に復学しました。
大学卒業後は地元で青年団活動を行い、県議を経て、1955年(昭和30年)に国政進出。
国会議員になってからも官房長官や大蔵大臣などの要職を歴任し、1987年(昭和62年)の11月に総理大臣に指名されています。
22歳年の差のある登さんは、「兄」というよりは「父」のような存在でした。
ちなみに、「亘」という名前を付けたのも、登さんだったそうです。[3]
◆弟と妹
竹下亘さんには、弟と妹がいます。
弟さんの名前は、竹下三郎さん。
現在、『竹下本店』の当主を務めています。
妹さんの名前は、栄さんと言います。
◆大甥に当たるDAIGO
竹下亘さんの親戚にあたるのが、歌手でタレントのDAIGOさん。
1978年(昭和53年)4月8日生まれです。
DAIGOさんは竹下登さんの孫なので、亘さんから見ると大甥(甥の子供)に当たります。
亘さんの子供が政治を継ぐそぶりがないため、
DAIGOさんを後継者に
という声もあるようですね。[4]
北川景子票もとれるからいいかもしれませんね!
◆妻の実家は福田組
竹下亘さんの奥様の名前は、竹下雅子さん。
妻・雅子さんは、新潟県の建設会社『福田組』名誉会長である福田正さんの娘に当たります。
雅子さんのお姉さんは和子さんといって、立憲民主党・小沢一郎さんの元の奥様でした。(2014年に離婚)[5]
◆2人の息子は医学界と法学界へ
竹下亘さんには、2人の息子さんがいます。
2人とも慶応の付属校に通い、長男は医学部に推薦で進んで医師になりました。
2歳年下の次男も成績優秀で、推薦で医学部に入ることができたのですが、
兄貴が医学部ならオレは法学部で
ということで、法律の道に進んだようです。
自民党の閣僚経験者は、
(2人の息子さんは)余人をもって代えがたい仕事をしてる。政治家やるんだったら早めに秘書になったりしているでしょう。今のところ可能性はないんじゃないかな
と話しています。
◆まとめ
これまで見てきた通り、竹下亘さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、竹下さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- Amebaプロフィール 2021年2月20日確認 衆議院議員 竹下亘公式ブログ
- 竹下本店公式ホームページ 2021年2月20日確認 蔵元について
-
日刊ゲンダイ 2014年9月19日 敵少なく推薦入閣…竹下亘復興相はDAIGO人気にも便乗
- 週刊新潮 2019年3月14日号掲載 「DAIGO」政治家転身の可能性はあるのか? 地元“竹下王国”の反応
- 女性自身 2014年11月18日 小沢一郎代表 離婚していた「良い人いないかな…再婚したい」
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