軍事オタク・鉄道オタク・アイドルオタクを自認する、自民党の石破茂さん。
キャンディーズの歌は3番まで歌えます!
今回は、そんな石破さんの『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1957年〈昭和32年〉2月4日
血液型 :B型
出身大学:慶應義塾大学法学部
家族構成:
【実家】父親、母親、姉2人
【結婚】妻、長女
◆実家・生い立ち
石破茂さんは、鳥取県八頭郡八頭町の出身。
小学校は鳥取大学教育学部附属小学校、中学校は鳥取大学教育学部附属中学校を卒業しました。
高校は上京して慶応義塾高等学校へ入学。
初めて“知事のせがれ”と呼ばれなくなった
と解放感にひたりましたが、カルチャーショックにも悩まされました。
慶應の同級生はみんなよく勉強ができるし格好よく、石破青年には眩しすぎたのです。
ホームシックになる度に東京駅に出かけ、鳥取に向かう夜行列車を一人で眺めました。
ちなみにトヨタ自動車の豊田章男(とよた・あきお)さんが同級生だったと後になって知りましたが、当時は全くわかりませんでした。
石原伸晃(いしはら・のぶてる)さんは1学年下の後輩だそうです。
大学は慶應義塾大学法学部を卒業しています。
◆父親は官僚・政治家の石破二朗氏
石破茂さんの父親の名前は、石破二朗(いしば・じろう)さん。[1]
父・二朗さんは鳥取県八頭郡大御門村の農家の出身ですが、東京帝国大学を卒業して建設省の事務次官にまで上り詰めます。
その後、政界に転じ、鳥取県知事や参議院議員を務め、鈴木内閣で自治大臣を務めました。
石破さんの出生時、父・二朗氏は48歳。
自身の高齢の恥ずかしさから二朗氏は病院へ行きたがりませんでした
代わりに秘書の男性が病院へ出かけていたため、病院側は、秘書が石破さんの父親と思っていたのだとか(^_^;)
1958年、二朗氏が鳥取県知事となったため、石破さんは知事公舎で幼少期を過ごしました。
知事として激務をこなす父の背中を見て、
24時間365日、県民のことを考えている。父のようになるのは無理だ
と痛感し、政治家を目指す考えは持てなかったといいます。
大学を卒業する前、父・二朗さんから、
政治家になるつもりはあるのか?
と聞かれたことがあります。
絶対にやらない
と答えた石破さんに二朗さんはこう言いました。
そうだろうな。お前みたいに人のいい奴につとまる仕事じゃない。お前は、俺と違って、苦労していない。政治家になっても、大成しないだろうな
その頃の石破さんは本を読むのも、文章を書くのも好きだったため新聞記者に憧れていました。
しかし、
ジャーナリストは人を批判してばかりいる仕事
と考えている父親に猛反発を食らいます。
それでは鉄道好きだった国鉄はどうか?と言ってみると、
あれは、そのうち潰れる
という理由で却下。
結局、あれこれ話し合った結果、銀行を薦められ、三井銀行に就職しました。
1981年に、父・二朗さんが逝去。
この時、石破さんは三井銀行に勤めていましたが、父の友人であった田中角栄(たなか・かくえい)氏より
おまえが(おやじの後に)出ろ
と薦められ、石破さんは政界入りを志すようになりました。
◆母親の実家も名家
石破茂さんの母親の名前は、和子さん。[2]
母・和子さんのお父上は、内務官僚の金森太郎氏。
祖父は宗教家・金森通倫氏ということで、こちらも名家ですね
母・和子さんは、国語教師だったということもあり、教育熱心な人物でした。
石破さんは、小学校の頃は毎晩1時間程度、偉人伝の朗読をさせられていたそうです。
ちなみに石破さんが生まれた時、御父上は「金太郎」と名付けようとしました。
これに母・和子さんが猛反対し、吉田茂(よしだ・しげる)元首相にちなみ「茂」に落ち着いたのだそうです。
◆兄弟は姉が2人
石破茂さんは、3人兄弟の末っ子で、上には姉が2人います。
2人とも教員免許を持っており、上の姉は英語、下の姉は歴史の教師だったそうです。
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