短距離走の選手として活躍する、サニブラウン・ハキーム選手。
趣味はテレビゲームです!
今回は、そんなハキーム選手を育んできた「家族」にスポットを当て、ご紹介します。
英語表記:Abdul Hakim Sani Brown
生年月日:1999年〈平成11年〉3月6日
身 長:190cm
家族構成:父、母、弟
◆生い立ち
サニブラウン・ハキーム選手は、福岡県北九州市の出身。
その後、東京に移り、小学校は、港区立お台場学園港陽小学校へ通いました。
当時はサッカー少年でしたが、小学校3年生の時、母親の勧めで陸上を始めています。
中学・高校は一般入試で、城西大学附属城西中学校・高等学校へ進学しました。
クラブ顧問である山村貴彦(シドニーオリンピック出場)氏の指導を受けるようになり、高校1年次のインターハイ男子200mで準優勝。
その約1ヶ月後の第69回国民体育大会100m(少年B)で、10秒45の高1最高記録で優勝を飾り、広く名が知られるようになりました。
大学はフロリダ大学へ進学し、練習拠点もフロリダ州ゲインズビルに移転しています。
◆父親の国籍や職業は?
サニブラウン・ハキーム選手のお父さんはラティフ・サニブラウンさん。[1]
父・ラティフさんはガーナ出身で、現在は東京都内でスポーツバーを経営しています。
ラティフさんは、プロスポーツ選手ではないものの、若い頃にサッカーをしていました。
その影響で息子たちも、サッカーを経験しています⚽️
息子いわく、
ダディは黒くて、強くて、太っている
ということなので、ハキーム選手の恵まれた体格はお父さんのDNAなのでしょう。
ウェイトに気を付けなければいけませんね(^_^;)
◆母親はハーフ?
サニブラウン・ハキーム選手のお母さんの名前は、サニブラウン・明子さん。[2]
母・明子さんは「ハーフ」という噂もあるようですが、福岡県出身で普通に日本人だと思います。
ただし、明子さんが普通でないのは、福岡県立宗像高等学校時代に100mと100mハードルでインターハイ出場経験を持つこと。
ハキーム選手は、幼少期はサッカーのFWでしたが、母・明子さんが、
団体競技は向いてない
と陸上を勧め、小3の時に陸上に転向しています。
その際は、明子さんの知人であった大森誠一さん(アトランタ五輪代表)が主催する陸上クラブに所属しました。
また、母・明子さんは、走り幅跳びの日本記録保持者である森長正樹選手ともお知り合い。
それが縁でハキーム選手は、森長選手から走り幅跳びの指導も受けています。
まさに、現在のハキーム選手の活躍は、母のDNAと人脈の産物と言えますね!
明子さんは競技面だけでなく、食べ盛りの息子のために毎日お米を5合炊くなど、「母」としてもハキーム選手を支えています。
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