日本フィギュア界のプリンス、羽生結弦選手。
今回は、そんな羽生選手を育んだ『家族』にスポットを当てご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:羽生結弦(はにゅう・ゆづる)
生年月日:1994年12月7日(20歳)※2015年10月現在
身長/体重:172cm/53kg
◆姉の名前は?
羽生結弦選手のお姉さんの名前は、「さや」さんだと言われています。
4歳年上のお姉さんもスケートの選手であり、羽生選手がスケートを始めたのも、お姉さんがきっかけ。
しかし、最初はスケートにはあまり興味がなく、どちらかといえば野球など男の子がやるスポーツの方に興味がありました。
5分も滑ると飽きていた少年が、スケートにのめり込むようになったのもお姉さんの影響です。
姉ちゃんが飛べるなら自分も飛ぶ!
姉ちゃんができる技なら自分にもできる!
お姉さんが一生懸命練習する姿を見て、だんだん興味が高まり、お姉さんを目標にして頑張り始めたのでした。
◆姉の画像…似てる?
羽生選手が小学校中学年のころ、その競技人生に危機が訪れます。
家の経済的な理由により、姉弟2人にずっとフィギュアスケートを続けさせることは出来なかったのです。
スケートではお姉さんより後発であり、男の子だから進学のことも、両親は考えたでしょう。
羽生選手がスケートをやめる、という話が持ち上がります。
しかし、お姉さんが
結弦が辞めるくらいなら、自分が辞める!
と強く主張し、結局、羽生選手はスケートを続けることになります。
その後、お姉さんも高校まではフィギュアを続けましたが、それは自分が選手として世界を目指すためではなく、弟にとってベストな環境を作るためでした。
それではここで、お姉さんの画像をご紹介します!
昔の写真しかありませんが、表情がそっくりですね。
2人は性格もよく似ているそうで、それだけにケンカもしょっちゅうしていました。
一番身近な、良いライバル関係なのでした(^^)v
◆父親の職業は?
羽生結弦選手のお父さんの名前は、羽生秀利さん。
息子とは違ってやや小太りの体型だそうですが、物腰が柔らかく色白なところはよく似ています。
お父さんは、宮城県石巻市にある中学校の教頭先生を務めています。
勤務する中学校は、石巻漁港から約1kmの場所にあったため、震災の津波では校舎の1階部分が水没。
生徒3人が亡くなるという悲劇を生みました。
震災後は、近くの小学校の校庭にプレハブの仮校舎を建てて、間借りしながら授業を続けました。
生徒はみんな被災しており、避難所生活で大変な生徒を何人も預かっており、そもそも羽生さんの家も全壊しています。
そんな中で、教え子に愛情を持って献身的に仕事をするお父さんの背中を、羽生選手はしっかりと見ていました。
羽生選手は、ソチオリンピック金メダルの報奨金600万円を、震災復興とスケートリンク(整備)のために、全額を寄付することを明らかにしています。
◆母・由美さんとカナダへ
羽生結弦選手のお母さんの名前は、由美さん。
羽生選手は2012年から、お母さんと共にカナダへ渡りました。
キム・ヨナを育てた名コーチ、ブライアン・オーサー氏に師事を仰ぐためです。
しかし、羽生選手は当地で、食事の問題という大きな壁にぶつかってしまいました。
北米特有の大ぶりなステーキや、鹿肉などのジビエ料理が、羽生選手の口に合わなかったのです。
目の前に、大きなお肉や大皿の料理が出ると、それだけで
肉に襲われる…
と怯えてしまいました。
羽生選手はどんどん食が細くなり、そのため免疫力が低下し、体調不良を訴えるようになります。
ここで、本格的な食生活の改善を決意したお母さんは、専門家に相談し、羽生選手の食事の取り方に特徴があることに気がつきました。
羽生選手は、食べ始めて5分ほどで
「ごちそうさま」
と箸を置いて食事を残しますが、20分ほど経つと、また
「お腹が空いた」
と言って食べ始めるのです。
羽生選手は、胃腸が動き始めるのが遅く、食べ始めて時間がたたないと、お腹が空かないタイプだったのでした。
◆母親のV料理とは?
そこでお母さんは、専門家の指導の下、食事を汁ものから始めることにします。
だしのうま味成分である「グルタミン酸」が胃腸を刺激し、食欲を促進させる性質があるためです。
また、視覚的な負担をなくすために、ご飯も茶碗ではなく、俵形のおにぎりにして小分けに出しました。
さらに、鍋が好きな羽生選手に、野菜たっぷりの「V鍋」を考案。
その「V鍋」レシピはこちらです。
水200ミリリットルを入れた耐熱器に細かく砕いたキムチ風味の『鍋キューブ』を1個入れる。
干ししいたけ適量、キャベツ60g、加熱してひと口大に切ったじゃがいも45g、同様のにんじん15g、加熱して3等分にしたアスパラガス1本、加熱してひと口大に切った鶏もも肉60gを入れ、最後にわけぎ(乾燥)0.2gを散らす。
電子レンジ(600w)で5分加熱した後、軽くかき混ぜる。
お母さんの努力が功を奏して、五輪シーズンは練習が増えるにも関わらず、最高のコンディションでソチ五輪に挑むことができました。
ソチオリンピックの金メダルは、お母さんの献身的なサポートが生んだと言っても、過言ではないでしょう。
◆まとめ
羽生家は、お母さんが食事や健康管理など生活面でサポートして、お父さんが優しく見守る。
そして、お姉さんが競技者の先輩として、羽生選手の技術などをサポートすることで成り立ってきました。
現在も温かい家族の支援を受けながら、羽生結弦選手の視線はすでに、韓国・平昌五輪に向けられています。
◇編集後記
羽生結弦選手は、8歳の時からファイテンのネックレスを愛用しています。
そして、現在つけているモデルはこちら。
ファイテン RAKUWAネックX100 (チョッパーモデル) 羽生選手愛用ネックレス
留め具部分が“V字”になっていて、シャープな羽生選手の顔立ちにフィットしています。
眺めているだけでも、羽生選手の気分が味わえますよ(^_-)
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