第99代の内閣総理大臣をつとめた、菅義偉さん。
こんにちは、ガースーです!
今回は、そんな菅さんの息子さんなど『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1948年〈昭和23年〉12月6日
血液型 :O型 [1]
出身地 :秋田県雄勝郡秋ノ宮村
最終学歴:法政大学法学部政治学科
◆家族構成
菅義偉さんの実家の家族構成は、両親と姉2人、弟1人の6人家族です。
自身の家族は、奥さまと3人の息子さんがいます。
◆秋田県の実家
①実家は秋田の山間部
菅義偉さんは、秋田県雄勝(おがち)郡秋ノ宮村(後の雄勝町、現:湯沢市秋ノ宮)の出身。
支援者によると、
ご実家は、秋田の山をいくつもいくつも越えて、秋田杉の間をどこまでもどこまでも行った本当におおらかな田舎という所です
と説明されています。
ちなみに、絶世の美女と伝えられる女流歌人の小野小町(おのの・こまち)も、雄勝町で生誕したとされているようですね
このような土地で菅さんは育ち、地元の雄勝町立秋ノ宮小学校、雄勝町立秋ノ宮中学校(いずれも当時)を卒業しました。
120人の同級生のうち、60人が集団就職して、30人は農家を継いで、残りの30人が高校に行ったという時代。
菅さんは、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に進学しましたが、それでも通学には2時間を要したそうです。
②実家は貧しかった?
菅さんは、集団就職で上京して、その後、働きながら大学に通っています。
「苦労人」というイメージがありますが、苦学したのは父親に反発したためであり、実家が貧しかったということはありません。
当時『冒険王』という月刊の漫画雑誌がありましたが、冒険王を買ってもらえるのは、一学年に2~3人いるかどうか。
しかし、菅少年の家には『冒険王』が毎月配達されていたそうなので、むしろ裕福な方だったのかもしれませんね
『冒険王』の発売日には、漫画を読みたい友人たちが菅家の前で並んで待っていました。
菅少年は友人たちに封を開けさせると、先に読ませていたそうです。
菅さんは、夜に読んでいたのでしょう
すでに政治家としての懐の深さを感じさせるエピソードだと思います。
◆父・菅和三郎さん
菅義偉さんの父親の名前は、菅和三郎(すが・わさぶろう)さん。
父・和三郎さんの職業は、当時の満鉄職員でした。
当時満州国の首都だった通化(つうか)市で働いていましたが、終戦により、郷里の秋田・秋ノ宮に引き揚げてきます。
そこで農耕に従事した和三郎さんは、
稲作農業だけでは、生活が豊かにならない。もっと高収入の作物に切り替えないといけない
というのが口癖でした。
そこで目を付けたのがいちご。
甘いだけでは駄目で、日持ちがよくないといけない…
と、改良を重ねてつくったのが『ワサ』というブランド品種でした。
和三郎さんの『ワサ』ですね!
父・和三郎さんは、自ら東京や大阪の卸売市場に持ち込んで営業を重ね、『秋の宮いちご』のブランド化に成功。
秋の宮いちご生産出荷組合の組合長を務め、その後、雄勝町議会議員も務めています。
菅さんは「たたき上げの政治家」と言われていますが、政治家を志したのは、お父上の影響もあったのかもしれません。
父・和三郎さんは、2010年に93歳で亡くなっています。
◆母親は元教員
菅義偉さんの母親の名前は、タツさん。
母・タツさんは、元教員だったそうです。
ちなみに叔父、叔母も教員だったらしいので、教員一家だったのですね。
父・和三郎さんとは、元々近所に住んでいた知り合いでしたが、結婚はお見合いによるものだったそうです。
そして、和三郎さんの後を追って満州に渡りましたが、そこでの苦労は筆舌に尽くし難いものがあったと思われます。
そんな苦労を乗り越えたお母さんは、気さくで楽しい人だそうです。
菅さんの後援会の旅行に、サプライズで登場したこともあり、
息子がお世話になっております
と挨拶し『岸壁の母』を踊られたのだとか。
菅さんは、照れながらも嬉しそうだったそうです。
ちなみに『岸壁の母』は、終戦後、復員するであろう息子を待ちわびる母親の姿を歌ったものです。
曲のセレクトには、母・タツさんの終戦後の苦労が感じられますね。
◆2人の姉
菅義偉さんには、2人のお姉さんがいます。
長姉の名前は、純子さん。
次姉は名前は分かりませんが、2人とも旧満州国で生まれました。
2番目のお姉さんが生まれたのは、終戦後の混乱期…
身重の母は、奉天(現・瀋陽)の小学校みたいなところに隠れて、次姉を出産しました。
姉2人は帰国後、ともに高校の先生になったそうです。
フライデーの記事では、
姉が進学した北海道教育大学を受験したが(菅さんは)不合格となった
と報道されていますが、実際には菅さんは、
教員にだけはなりたくない!
と考えており、北海道教育大学の受験はしていません。
そして、父親の意思に反して、関東で集団就職した菅さん。
姉の純子さんは、
間違った道に進みさえしなければいいんじゃない?
と、お父さんをなだめていたそうです。
◆弟はJR子会社役員
菅義偉さんには弟もいて、名前は菅秀介(すが・ひですけ)さん。[5]
年齢は、菅さんより2歳年下になります。
弟の秀介さんは、慶應義塾大学商学部を卒業。
1989年1月、菓子屋「ヒデ製菓」を起業し、東京駅構内のキヨスクを借りて、自前の菓子販売を行っていました。
1日の売り上げが100万円を超えることもありましたが、結局事業は頓挫。
2002年10月、ヒデ製菓と秀介さん個人は、東京地裁から破産宣告を受けています。
その後、秀介さんは、JR東日本の子会社である千葉ステーションビルに営業部付きの部長として入社。
2010年には取締役に就任し、2017年まで務めました。
現在は、自動車販売会社など複数の会社の役員に就任しています。[6]
菅さんよりやや身長が高く、ワイルドな雰囲気の秀介さん。
しかし語り口調は柔らかく、笑顔は菅さんにそっくりだそうです。
ちなみに、秋田犬を飼っているそうです
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