新型コロナウイルス感染症対策分科会長をつとめる、尾身茂さん。
外交官になるのが夢でした❗️
今回は、そんな尾身さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆生い立ち
尾身茂さんは、東京都の出身。
東京教育大学附属駒場中学・高等学校に進学すると、高校3年の時にはアメリカ留学を果たしました。
この時の経験から、将来は外交官や商社マンになることを夢見るようになります。
しかし時代は、日本中が学園紛争で騒然としている時期。
志望校である東京大学の入学試験が中止となり、やむなく慶応義塾大学法学部へ進みます。
慶応でも学生運動によるストライキが行われ、「反権力、反体制」が声高に叫ばれる中、
商社マンや外交官になりたい❗️
とは、とても言えない雰囲気がありました。
次第に尾身さんは目標を見失い、大学へも行かず、渋谷の書店に入り浸るようになります。
そんなとき出会ったのが、医学者である内村祐之さんが書いた『わが歩みし精神医学の道』という本でした。
この本に衝撃を受けた尾身さんは、密かに医学部受験を志すようになります。
◆父親はクレーン運転手
尾身茂さんの父親は、クレーンの運転手をつとめていました。[1]
父親は普段はおとなしい性格でしたが、
大学を辞めて医学部を目指したい❗️
という尾身さんの告白には大激怒。
殴り合いのケンカになったのだとか…
その場は何とかおさまりましたが、サラリーマン家庭に医学部の学費は負担となります。
そんな時に飛び込んできたのが、
自治医科大学、翌春1期生を募集
というニュースでした。
自治医科大学は、地域医療への奉仕を前提に、学費が無料となる大学です。
自治医科大学を志望校と決めた尾身さんは、トイレと睡眠以外の時間を勉強に充て、みごと合格を手にするのでした。
◆母親は群馬出身
医学部受験をめぐり衝突した父と子を取り持ってくれたのは、お母さんでした。
母親は「言い出したら聞かない」という尾身さんの性格をよく理解していました。
お父さんを説き伏せて好きなようにやらせてくれたのです。
ちなみにお母さんは、群馬県沼田市の出身だそうです。[2]
◆一般人の妻
尾身茂さんは結婚していますが、奥さまの情報は明らかにされていません。
ネットでは、
衆議院議員の尾身朝子(おみ・あさこ)さんが奥様ではないか?
という噂があるようですね。
尾身朝子議員は1961年〈昭和36年〉4月26日生まれで、尾身茂さんより12歳年下なので、年齢的には釣り合わないこともありません。
しかし、尾身議員は父の代から続く政治家の家系であり、尾身さんの奥様ではありません。
ただし、尾身朝子さんの父親は群馬県沼田市生まれであり、尾身茂さんの母親と同郷になります。
遠い親戚関係なのかもしれませんね
◆2人の子供
尾身茂さんには、2人の子供がいます。[3]
①息子
尾身茂さんの第1子は息子さんです。
息子さんは日本で育ちましたが、中学校2年生のときに尾身さんがWHOへ転身したため、マニラのインターナショナルスクールへ転校することに。
中2という多感な時期でもあり、欧米流を是とする学校生活に苦労することもありました。
しかし、徐々に”自由な青春時代”を謳歌し始め、英語力も上達していったそうです。
その後、息子さんは日本の大学に入り、国内企業に勤務。
結婚して2人の子供(尾身さんにとっては孫)に恵まれています。
②娘
尾身茂さんの第2子は娘さんです。
娘さんは小学校3年生の時に、マニラのインターナショナルスクールに入りました。
最初の一か月は、帰宅するたびに嘔吐するほど苦労しましたが、徐々に友人ができ、英語とその文化を”体全体”で受け入れていきました。
日本語より英語が得意となった娘さんは、アメリカの大学を卒業。
日本企業に就職しましたが、
日本語お上手ね。いつ日本に来られたの?
と聞かれるのだそうです。
◆まとめ
これまで見てきた通り、尾身茂さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、尾身さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- 集中MediCon 2020年7月11日 第33回 〝老獪な尾身氏〟が引っ張るコロナ対策
- 日本経済新聞 2014年9月11日 いつから英語教育を始めるか 地域医療機能推進機構(JCHO)理事長 尾身茂
- 山本一太の「気分はいつも直滑降」 2020年9月11日 あの尾身茂 新型コロナ感染症対策分科会会長のお母様が群馬県(沼田市)出身だとご存知でしたか?!
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