自由民主党に所属した元国会議員、菅原一秀さん。
今回は、そんな菅原さんを支える『家族』の物語です。
◆実家は建設会社
①実家は建設会社
菅原一秀さんは、東京都練馬区豊玉に生まれました。
実家は菅原建設工業株式会社を経営しており、1964年の東京オリンピックで成長した会社です。
小学校は地元の練馬区立豊玉南小学校に通いました。
中学校も地元の練馬区立豊玉中学校を卒業。
中学時代はサッカー部で活躍しました!
高校は早稲田実業学校高等部へ進学しています。
早稲田実業と言えば、野球の名門。
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)さん、
清宮幸太郎(きよみや・こうたろう)さん、
など、多くのプロ野球選手を輩出しています。
菅原さんも硬式野球部に所属し、選挙広報では、
硬式野球部で甲子園に4回出場
と輝かしい経歴が✨
しかし実際には、アルプススタンドで3回応援していただけだったそうです [2]
②SAMと過ごしたダンスの日々
そんな行き違いもありましたが、大学は、早稲田大学社会科学部に入学しました。
大学時代はダンスに打ち込んだ菅原さんは「全日本ディスコダンス選手権」に出場。[3]
そのとき出会ったのが、TRFのSAMさんでした。
SAMさんは病院の御曹司で、菅原さんは建設会社の御曹司。
2人は年齢も同じで、同じ空気を感じ取ったのでしょう。
意気投合した2人は「ロッキー」というユニットを組んで、全国の“ディスコ破り”を始めました。
東京・中野のオンボロアパートで共同生活を送り、ダンスの練習に励みます。
お金がなくて、パン1斤を2人で3日間かけて、砂糖や塩、マヨネーズで食べていました。
そんな生活を6年間続けた2人でしたが、菅原さんは次第に「政治家になる」という夢が膨らんでいきます。
そしてある日、便箋14枚に思いをつづってアパートの扉の前に置きました。
お前は日本一のダンサーになれ、俺は国会議員になる
青春時代をともに過ごした2人の交流は、現在でも続いているそうです。
◆父親
菅原一秀さんの父親の名前は、菅原甫(すがわら・はじめ)さん。[4]
1931年(昭和6年)5月に樺太で生まれ、終戦と同時に秋田県羽後町に引き揚げました。
湯沢市立湯沢中学校、秋田県立湯沢高等学校を経て、早稲田大学理工学部土木科を卒業。
都内の建設会社に勤務した後、菅原建設工業株式会社を設立しました。
社業は順調で、東京青年会議所常任理事もつとめ、1972年には衆議院議員総選挙に旧秋田2区から立候補。
惜しくも落選しましたが、この出来事は菅原さんが政治家を志すきっかけとなりました。
父・甫さんは、2018年1月に亡くなっています。
◆母親
菅原一秀さんの母親の名前は、菅原黎子さん。[3]
母・黎子さんも秋田県の出身で、現在は政治団体『一秀会』の会計責任者を務めています。
元湯沢市議会議長・永井邦右(ながい・くにすけ)さんの実姉に当たるそうです。
◆2000年に離婚
菅原一秀さんは、西暦2000年に離婚して、その後は独身です。[5]
2016年、菅原さんは国会に嘘をついて、愛人とハワイ旅行した事が、週刊誌にスクープされました。
ウソは問題ですが、独身の菅原さんに「愛人」の表現は不適切ですね。
◆子供
菅原一秀さんに子供がいるかどうかは、明らかにされていません。
◆まとめ
これまで見てきた通り、菅原一秀さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、菅原さんの挑戦は続いていきます😉
◇脚注
- exciteニュース 2021年3月9日 菅原一秀プロフィール
- 文春オンライン 2019年9月27日 “12の不祥事を持つ男”が新大臣に……いま菅原一秀経産相から目が離せない!
- デイリー新潮 2019年9月20日 「菅原一秀」経産相とSAMは“ダンス友達” おんぼろアパートで練習した学生時代
- あきた(通巻53号) 1966年10月1日 連載対談 中山善三郎
- J-CASTニュース 2016年4月1日 国会にウソついて愛人同伴ハワイ旅行「菅原一秀議員」視察名目でゴルフ三昧!甲子園出場も詐称
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