【立浪和義】の家族〜女手一つで育てた母…現役生活を支えた妻と娘…3人が贈る最後の花束

プロ野球選手や監督として活躍した、立浪和義さん。

座右の銘は「」です!

今回は、そんな立浪さんを取り巻く『家族』の物語です。

名  前:立浪和義(たつなみ・かずよし)
生年月日:1969年〈昭和44年〉8月19日
身  長:173cm/74kg
血液型 :A型
家族構成:父親(離別)、母親、兄、妻、娘
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◆実家・生い立ち

立浪和義さんは、大阪府摂津市の出身。

小学校は地元の、摂津市立鳥飼小学校へ通いました。

小学校4年生の時に「茨木ナニワボーイズ」に加入し、以降は野球に打ち込むようになります。

チームの同期には、後にプロ入りする橋本清(はしもと・きよし)さんがいました。

(橋本清さん↓)

立浪さんは、6年生の春までのポジションは投手でしたが、肘を痛め、野手に転向。

代わりに、橋本清さんがエースピッチャーとなっています。

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中学校は、摂津市立第五中学校へ進学。

中学時代も引き続き、茨木ナニワボーイズで野球を続けました。

(中学時代の立浪さん↓)

中学時代、2歳年上のPL学園「KKコンビ」が大活躍。

KKコンビに触発されたのと、幼稚園からの幼馴染・橋本清さんがPL進学を決めたことで、自身もPL学園への進学を決意します。

当時、大阪商業大学堺高等学校への進学が決まりかけていましたが、何とか断りを入れ、PL学園高等学校へ進学しました。

この時の同期には、橋本さん以外に、片岡篤史(かたおか・あつし)さん…

野村弘樹(のむら・ひろき)さん…

桑田泉(くわた・いずみ)さんらがいました。

また、野球部合宿所「研志寮」では、憧れの桑田真澄(くわた・ますみ)さんと相部屋になっています。

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立浪さんは高校2年生のとき、第58回選抜高等学校野球大会に出場。

1回戦の静岡県立浜松商業高等学校戦に、6番遊撃手として出場しましたが、初戦敗退しました。

高校3年生のときは、主将として第59回選抜甲子園大会と第69回夏の甲子園選手権大会に出場。

甲子園春夏連覇を達成しました。

1987年のドラフト会議で、南海ホークス中日ドラゴンズが1位で競合し、中日が交渉権を獲得。

立浪さんは中日に入団し、プロとしての道を歩き始めています。

◆父親

立浪和義さんの父親は、元社会人野球の選手。

立浪さんは本来は右打ちでしたが、父親によって左打に修正されました。

小学校2年生の時に両親が離婚し、この時から父親とは、離れて暮らしています。

◆母親:好子さん

立浪和義さんの母親の名前は、好子さん。[1]

母・好子さんは離婚後、自宅で化粧品店を営み、2人の子供を育てました。

化粧品店の仕事は忙しく、閉店後に配達に出かけることもしばしば。

このため、息子の野球の応援をほとんどすることができず、甲子園の決勝戦しか見に行っていないそうです。

それでも、真っ黒になったユニホームを洗ってくれ、好物のカレーライスを作ってくれる母の愛情は、立浪少年にもハッキリと伝わりました。

立浪さんが小学校6年生のとき、作文に書いた将来の夢は「プロ野球選手」——。

このころから、

野球選手になってお金を稼ぎ、母親に楽をさせる

という目標を思い描いていたのです。

(立浪さんの後ろが母・好子さん↓)

◆2歳年上の兄

立浪和義さんには、2歳年上のお兄さんがいます。

お兄さんも野球をやっており、小学校の時に硬式少年野球チームの「茨木ナニワボーイズ」に加入したのは、お兄さんに誘われたからでした。

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