平成生まれ初の大関昇進となった、高安(たかやす)関。
今回は、そんな高安関を育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家はエスニック料理店?
高安関の実家は、茨城県土浦市。
実家は、茨城県内に複数店舗を構えるエスニック料理店を経営していましたが、現在はすべて閉店しています。
高安関は小学4年から野球のリトルリーグでプレーし、中学の3年間は野球部に在籍しました。
捕手として高校でも野球を
と考えていた高安関でしたが、大きな問題が。
実は中学時代、通知表の成績は体育だけが4か5で、残りはパッとしませんでした。
見かねた両親が中学2年で個別指導塾へ通わせようとしたが、
もう手遅れです
と入会を断られてしまいます(T_T)
希望する高校進学が難しくなり、途方に暮れていた家族に、
角界という道もある
と道を開いてくれたのは、中学校の担任の先生でした。
ところで、「高安」という名前は本名で、大阪・八尾氏の高安地区がルーツとなっています。
西暦600年代の大化の改新の時代からある由緒正しい名字で、「高安家」は武家に仕えた由緒ある家系。
四股名は、関取昇進が決まった際に改名する予定でしたが、高安家一族が、
このまま変えないでほしい
という意向を伝え、了承されているそうです。
ちなみに、京都・左京区にある「中華そば 高安」は、親族関係はありませんが、
多分たどっていったら同じ先祖
と語る高安オーナーが、応援してくれています。
大関昇進祝いとして、
店自慢の空揚げを、ラーメンを注文した方に1つずつサービス
というキャンペーンを実施するそうです(^ ^)
◆父親の仕事は?
高安関のお父さんの名前は、高安栄二さん。
年齢は今年(2017年)で66歳になります。
前述のとおり、父・栄二さんは茨城県内で複数のエスニック料理店を展開していました。
ところが、2006年ごろお父さんは腎臓がんを患い、片方の腎臓を摘出します。
それからは、
できる範囲の仕事しかできなくなってしまった
という栄二さん。
最後まで残っていた地元、茨城・土浦市内の1店舗も、現在は閉店しています。
中学3年生のとき、担任の先生に角界入りを勧められた高安関でしたが、
相撲は絶対嫌だ
と、当初は拒否していました。
それをお父さんは、
見るだけだ
と説得し、アポイントもなく当時の鳴戸部屋を訪れます。
いい体だ。筋肉がゴムのように伸びる。手足も大きい
と先代に見出された高安関でしたが、入門当初は兄弟子たちとの人間関係に悩み、何度も部屋を脱走しました。
その数は、7回とも10回とも伝えられています。
そのたびに高安関を説得して、部屋に連れ戻したのも父・栄二さん。
高安関が大関昇進を決めた際は、
ここまで来るのは大変だったろう。とてもうれしい。もっと精進して夢をかなえてほしい
と語りましたが、お父さんも大変でしたね(^_^;)
◆母親はフィリピン出身
高安関のお母さんの名前は、ビビリタさん。
年齢は今年(2017年)で54歳なので、お父さんより一回り下になります。
名前からも分かるとおり、母・ビビリタさんはフィリピンの出身。
フィリピン女性の強さなのか、ビビリタさんは「肝っ玉母さん」で名が通っています。
エジプト出身の大砂嵐関が、顔面を狙ったプロレス技のエルボーのような“かち上げ”で猛威をふるった時期。
高安関が“かち上げ”を1発食らうと、翌日の場所入りで大砂嵐関を見つけるやいなや、
だめよ、あんなことしちゃ。もっと正々堂々と戦いなさい
と叱ったのだとか(^_^;)
ちなみに、ビビリタさんの誕生日は、9月16日。
高安関はその日に負けたことがなく、初めて取った懸賞金は、お母さんにプレゼントしています。
◆兄弟がいる?
高安関にはお兄さんがいて、名前は洋幸さん。
兄・洋幸さんは、高安関に似て、タテもヨコも立派な体格をされています。
なお、元AKB48で女優の秋元才加さんとは、幼なじみで兄弟のような仲。
小さいときからよくケンカしていたのを覚えている
と、高安関は懐かしそうに話しています。
◆まとめ
高安関、最後の脱走の時、父・栄二さんは、集まった師匠や兄弟子たちの前で床に手をついて詫びました。
何とか息子を部屋に置いてください
高安関は、そのときのショックを今でも忘れられません。
その時初めて、師匠、おかみさん、そして家族に支えられていることを悟った高安関。
以降は、相撲に専念し、大関まで上り詰めました。
これからも高安関の挑戦は続いていくことでしょう*\(^o^)/*
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