木瀬部屋に所属する大相撲力士、徳勝龍関。
今回は、そんな徳勝龍関のお嫁さんや実家の両親などにスポットを当て、ご紹介します。
◆2016年に結婚
徳勝龍関は、2016年6月に結婚しています。
お嫁さんの名前は、千恵さん。
年齢は、徳勝龍関と同い年になります。
結婚披露宴は、結婚翌年の2017年2月11日に、東京都内のホテルで開かれました。
約350人が出席するなか、徳勝龍関は、
彼女は本当によく自分を支えてくれている。結果を出すしかない
と、決意を語っています。
◆お嫁さんの画像
徳勝龍関とお嫁さんの結婚式の様子は、出席者のTwitterなどでうかがい知ることができます。
こちらは演歌歌手の西田梨沙(にしだ・りさ)さんのTwitterより。
私の叔父からの繋がりで
徳勝龍関、千恵さんのご結婚披露宴へ☆
誠におめでとうございます♡
また、横綱稀勢の里関にお逢い出来光栄です♪ 大好きな俊二おじちゃま♥ pic.twitter.com/Ld1hiaz1Go— 西田梨沙 (@Nishida_DyyrP) February 13, 2017
お嫁さんの画像もありますが、和服がよく似合う美人さんですね(#^.^#)
また、女優の穐吉次代(あきよし・つぐよ)さんのブログにも、画像がたくさん紹介されています。
こちらでは、お嫁さんのウエディングドレス姿も拝見できますね。
ちなみに穐吉さんの祖父は、第35代横綱の双葉山(ふたばやま)関だそうです。
◆お嫁さんとの馴れ初めは?
徳勝龍関とお嫁さんの出会いは、錦糸町のカレー店の店長の紹介でした。
“美女と野獣”のような組み合わせですが、お嫁さんのタイプはプロレスラーの中西学氏なのだとか( ̄▽ ̄)
現在は都内の法律事務所で、秘書として働いています。
◆実家は奈良県
①実家は奈良県
徳勝龍関は奈良県奈良市で生まれ、幼少期を奈良県橿原(かしはら)市で過ごしています。
3歳のときから小学校6年生までは、柔道もやってたのだとか。
ちなみに奈良は「相撲発祥の地」といわれていますが、奈良県出身力士の優勝は、1922年春場所の鶴ヶ浜以来ありません(>_<)
90数年ぶりの優勝を期待してか、奈良県は2016年6月、公式キャラクターせんとくんを刺繡した化粧まわしを、徳勝龍関に贈っています。
②小学校時代
徳勝龍関は、橿原市立新沢(にいざわ)小学校の出身。※2013年6月25日付奈良新聞より
柔道をやっていた徳勝龍関ですが、小学校4年生のとき、わんぱく相撲で全国大会に出場したのがきっかけで、相撲の道に進みました。
小学校時代は、地元の「けはや相撲クラブ」に通っています。
小学5年生の頃には、下級生をいじめた子を見つけ、
そんなことをするな。俺が承知しないぞ❗️
と、一喝したという伝説が残っています。
③中学校時代
徳勝龍関は、橿原市立光陽(こうよう)中学校の出身。※2014年6月20日付奈良新聞より
中学生になってからは、大阪府岸和田市の「右門道場」へ通い、腕を磨きました。
中学校では給食室で、その日の献立を聞くのが日課だったそうです(^_^;)
④高校時代
徳勝龍関は、相撲の名門・明徳義塾(めいとくぎじゅく)高等学校に進学。
高校2年生でインターハイ団体優勝を経験し、個人では2年生の時に国体16強、3年生時に金沢大会8強などの成績を残しました。
徳勝龍の「徳」の字は、母校の明徳義塾高からもらっています。
⑤大学時代
徳勝龍関は、伊東勝人(いとう・かつひと)監督に誘われて、近畿大学経営学部に進学しました。
大学では学生横綱にはなれなかったものの、西日本学生相撲選手権大会、全国大学選抜相撲高知大会で優勝しています。
大学4年生のときに、木瀬部屋に入門。
学生横綱でないため幕下付出が得らませんでしたが、序ノ口と三段目でそれぞれ各段優勝を果たし、早期に幕下に昇進しました。
ちなみに、徳勝龍の「勝」の字は、恩師の伊東勝人監督からもらっています。
しかし、伊東監督は、2020年1月18日に55歳の若さで急逝。
前日まで知人と会食をしていたと言いますから、本当に急なことだったのでしょう。
これからは天国から、徳勝龍をはじめとした弟子たちの活躍を見守ってくれると思います。
◆父親の職業は?
徳勝龍関の父親の名前は、青木順次さん。
年齢は、今年(2020年)で73歳になります。
父・順次さんは、天理高校の柔道部出身。
幼い徳勝龍関が柔道をやっていたのは、父親の影響だったのですね。
そんなお父さんの職業は、警察官だったそうです。
2020年初場所で初優勝を決めた徳勝龍関は、優勝インタビューで両親に向け、
いつもは照れくさくて言えないですけど…お父さん お母さん、生んで育ててくれて、ありがとうございます!
と、感謝の気持ちを伝えていました。
お父さんは、地元のパブリックビューイングで観戦し、
真っ向勝負の立派な相撲だった
と、息子の健闘をたたえていました。
◆母親の涙
徳勝龍関の母親の名前は、えみ子さん
年齢は、今年(2020年)で57歳になります。
お母さん、お父さんと16歳の年の差婚ですね(゚д゚;)
徳勝龍が初優勝を決めた千秋楽、お母さんは国技館に駆けつけて応援しています。
メディアのインタビューに対し、
ハラハラしたけれど、逆転してくれてうれしい。夢みたい
と、涙ながらに話しました。
◆兄弟は姉が一人
徳勝龍関には、お姉さんが1人いて、名前は井上千夏さん。
年齢は、今年で35歳になります。
徳勝龍関は、2015年に奈良市立帯解(おびとけ)小学校を訪問していますが、このときの校内誌に、
1年生の井上君の叔父さんの徳勝龍関が学校に来てくださいました。
と紹介されているので、お姉さんの子供なのでしょうね。
優勝の瞬間、お姉さんは父親と一緒にパブリックビューイングで観戦。
日に日に白星が増えて、ひょっとしたら(優勝が)あるかも、と思っていた。かっこいい弟です
と、喜んでいました。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、徳勝龍関の活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、徳勝龍関の挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇編集後記
2010年5月、徳勝龍関が所属する木瀬部屋が一時閉鎖となり、北の湖部屋預かりとなったことがあります。
ある日、徳勝龍関がちゃんこを食べていると、北の湖親方は突然こう言いました。
お前は押し相撲だと思っているだろう。(しかし)左四つだ。左四つでいけ
押し相撲を身上としていた徳勝龍関は、正直とまどいます。
しかし断るわけにもいかず試してみると、意外にもピッタリとはまり、これを機にメキメキと成長したのでした。
実は、父親の順次さんが、幼い徳勝龍関に対し、
将来を見据え、柔道では有利な左組みを教えていた
ということが、功を奏したと思われます。
しかし、それを一目で見抜いた北の湖親方も、さすがとしか言いようがありません。
下積みが長かった徳勝龍関ですが、師匠には恵まれていたのですね(^_-)
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