女優や司会者として活躍する、鈴木杏樹さん。
今回は、そんな杏樹さんの夫や子供にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1969年〈昭和44年〉9月23日
身 長:161cm
血液型 :AB型
出身地 :兵庫県神戸市
◆夫は日大医学部の医師
①夫の職業は?
鈴木杏樹さんは、1998年6月に結婚しています。
夫の名前は、山形基夫(やまがた・もとお)さん。
夫は東京・日本橋の老舗洋服店の長男で、日本大学医学部出身のドクターでした。
がんの権威として知られ、駿河台日本大学病院の外科部長を務めていました。
歌手の鈴木雅之(すずき・まさゆき)さんの主治医的な存在でもあったのだとか。
鈴木雅之さんとは同い年で、
お互い定期健診やったほうがいいね
と話していたそうです。
ちなみに鈴木雅之さんは、杏樹さんのことを「妹のような存在」と言っています。
“鈴木”という苗字も同じですが、血縁関係はありません。
②夫との馴れ初めは?
鈴木杏樹さんと夫との出会いは、1998年1月のこと。
杏樹さんは『ミュージックフェア』収録中に腸閉そくを患い、夫が勤める病院に入院。
このとき、手術を担当したのが、夫の山形基夫さんでした。
夫は気さくな性格で知られていて、夜勤の際には、若いスタッフに手作りのカレーライスをふるまうことも。
患者さんからの評判もよく、病室によく顔を出して、そのマメさから、女性患者に人気でした。
杏樹さんも、そんな山形さんの人柄にひかれ、退院の際にメールアドレスを交換し、すぐに交際がスタートしたのだそうです(#^.^#)
③夫との結婚生活
交際からわずか4か月後の1998年6月、鈴木杏樹さんと山形基夫さんは入籍しました。
出会いが病気だったこともあり、結婚後、夫の山形さんは、自分よりも杏樹さんの健康を気遣いましす。
夫は、杏樹さんの体調に合わせて、脂ものを抜いたり、消化のよいものを入れたりして、オリジナル弁当を毎日作ってくれたそうです。
また、仕事の関係で海外に行くことも多く、杏樹さんをいろんな国に連れて行ってくれました。
おしどり夫婦として、仲むつまじい結婚生活を送っていた2人。
しかし、幸福の日々は永遠には続きませんでした。
④衝撃の夫の死因…
結婚してから10年ほどたったころ。
夫の山形基夫さんは、重い肝臓の病気をわずらいます。
そして2012年末には肝臓の移植手術をするため、アメリカ・ボストン近郊の病院に入院しました。
静養しながら移植手術を待っていた山形さん。
しかし手術直前に容体が急変し、2013年2月1日、アメリカで亡くなりました。
日本にいた杏樹さんは、『ZIP!』へ出演するため家を出発する前に、
大変危険な状態です
と連絡が入ります。
⑤夫との別れ
杏樹さんが『ZIP!』本番に出演中、ふたたびアメリカから留守電が入ります。
すぐに電話をかけなおしたところ、
意識がなくなりました
と伝えられました。
そのまま本番が終わって、病院へ電話すると、アメリカの主治医が電話を夫の耳元に当て、
声を掛けてやってくれ
と。
夫はすでに意識がない状態でしたが、杏樹さんは、
ありがとう、頑張ったね
と呼びかけました。
声を掛けて間もなく亡くなりましたが、主治医は、
(夫が)ちょっと笑ったような感じがした
と話したそうです。
享年56歳。
当時43歳の杏樹さんを置いて、早すぎる旅立ちとなりました。
⑥夫の葬儀
翌日、アメリカへ渡った鈴木杏樹さん。
亡くなった夫を見ても、ただ寝ているだけのように見えたそうです。
意識の中で夫と話した杏樹さん。
夫は、日本からの同行の先生や治療してくれた先生に対して、
本当にありがとう
と言っていたそうです。
元夫の御通夜は、2月13日に東京・築地本願寺で行われました。
通夜には、
- 安倍なつみさん(杏樹夫妻と親交)
- 恵俊彰さん(『ミュージックフェア』で共演)
- 石田ひかりさん(『あすなろ白書』で共演)
- 水谷豊さん(『相棒』シリーズで共演)
- 成宮寛貴さん(『相棒』シリーズで共演)
- 渡哲也さん
- 高見沢俊彦さん(THE ALFEE)
- ユースケ・サンタマリアさん(同じ事務所)
- 鈴木雅之さん(同じ事務所)
- 千秋さん(同じ事務所)
- 谷原章介さん(同じ事務所)
などが参列しています。
安倍なつみさんは、
『モーニング娘。』のときからコンサートに足を運んでいただき、舞台にも夫婦で一緒に観に来てくれました。東京のお父さんのようによくしてくれました
と、故人を偲んでいました。
コメント