卓球指導者として日本卓球界に貢献した、福原千代さん。
今回は、そんな千代さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆夫・福原武彦
福原千代さんの夫の名前は、福原武彦(ふくはら・たけひこ)さん。[3]
年齢は、千代さんより9歳年上になります。
父・武彦さんは、『福原産業』という不動産会社を、宮城県仙台市で経営していました。
しかし、1998年ごろ、倒産の憂き目に。
その後、債権者から1億4000万円の返済を求められて、家計は火の車となりました。
当時の稼ぎ頭は、すでに抜群の知名度を誇っていた娘の愛ちゃん。
福原家の収入は、複数のCM出演をこなす愛ちゃんに、すべて頼ることになります。
それでも愛ちゃんは家族のために、自分に与えられた役割を粛々とこなしていきました
そんな愛ちゃんが違和感を感じたのは、卓球経験のない武彦さんが、卓球指導に介入してくること。
- 大阪の有名なコーチに必殺技の“王子サーブ”を教えてもらうため、仙台から大阪に引っ越し
- 中学は“スポーツの超名門だから”と、遠く離れた青森山田中学に進学させる
- 中国リーグに参戦させたと思ったら半年でやめさせる
- “海外では速い球を打てないと通用しない”と愛ちゃんのフォームを改造しようとする
愛ちゃんは、2008年の北京五輪でメダルを逃し、さらに2009年4月、世界選手権でも2回戦で早々に敗退します。
この結果が、愛ちゃんに大きな決断をさせることになりました。
◆息子・福原秀行
福原千代さんには息子さんがいて、名前は福原秀行(ふくはら・ひでゆき)さん。[4]
年齢は、福原愛さんより10歳年上になります。
2009年4月、世界選手権で敗退した愛ちゃんは、兄の秀行さんと話し合い、
これ以上、お父さんに振り回されたらダメだ…
と、覚悟を決めました。
そして世界選手権の後、秀行さんが武彦さんに直接、
もう愛にはかかわらないでほしい
と告げ、愛ちゃんは父・武彦さんと決別したのでした。
これ以降、愛ちゃんのマネジメントは、母・千代さんと兄・秀行さんが仕切るようになりました。
マネジメント事務所の名前は『千秀企画』。
千代さんと秀行さんの名前を一文字ずつ取った会社名こそが、父・武彦さんとの決別の証となりました。
◆「国民の娘」福原愛
福原千代さんの娘さんは、ご存じ福原愛(ふくはら・あい)さん。
愛ちゃんは1988年〈昭和63年〉11月1日、宮城県仙台市で生まれました。
兄・秀行さんの影響で、3歳9か月で卓球を始めた愛ちゃん。
4歳の時に開催された「宮城県小学生卓球選手権大会」で優勝し、全国大会でもベスト16に入ると、
『天才卓球少女』
と注目を集め、一躍、国民的アイドルとなります。
以降は、
- 10歳4か月でプロ宣言し、ミキハウスと専属契約を締結
- 史上最年少の15歳でアテネ五輪に出場
- 北京五輪に出場
- ロンドン五輪で日本卓球史上初となる銀メダルを獲得
- リオ五輪で銅メダルを獲得
と、華々しく活躍しました。
リオ五輪終了後の2016年9月1日、卓球台湾代表の江宏傑(ジャン・ホンジェ)さんと国際結婚。
2018年10月21日に、現役引退を表明しています。
◆まとめ
2013年10月、夫の武彦さんは、すい臓がんのために亡くなりました。
一方で、愛ちゃんのところには、2017年に女の子、2019年に男の子が生まれています。
これからも千代さんの周りには、温かく支えてくれる『家族』の笑顔があふれていることでしょう。
◇脚注
- Rallys 2019年3月6日 【卓球】福原愛 母・千代さん誕生日に仲良しツーショット
- 毎日新聞 2016年8月12日 母と娘、愛のラリー 三者三様、教えを胸に 卓球女子団体・福原愛、石川佳純、伊藤美誠
- 朝日新聞 2007年10月2日 卓球選手福原愛のお母さん 千代さん:1 いつも泣いてたわけじゃない
- 女性セブン 2013年11月7日号 福原愛 亡き父の金銭問題と場当たり指導も原因で5年間断絶
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