「泣きむし愛ちゃん」こと、福原愛さん。

実は試合で泣いたのは、4歳の時だけです!
今回は、そんな愛ちゃんを育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆家族構成
福原愛さんの家族構成は、台湾人の夫との間に、娘が1人、息子が1人います。
実家の家族は、両親と兄1人の4人家族です。

それでは、お父さんから見ていきましょう!
◆父親との確執
①父親の職業は?
福原愛さんのお父さんの名前は、福原武彦さん。[1]
父・武彦さんは、1990年から仙台で不動産会社を営み、愛ちゃんや家族を養いました。
武彦さんは、愛ちゃんの練習環境を整えるために、仙台・大阪・青森などに拠点を移し、専用卓球場も所有。
卓球王国である中国出身のコーチも招くなど、自営業とはいえ資金の捻出は容易ではなかったでしょう。
事業が上手くいかなかった事もあり、武彦さんの負債は1億4千万円まで膨れ上がりました。
やがて国民的アイドルに成長した愛ちゃんが、CMやバラエティ番組に出演し稼いでも、会社の経営は好転しません。
結局は倒産の憂き目に…。
債権者から愛ちゃんと家族を守るため、武彦さんはお母さんと離婚した上で、自己破産したのでした。
②父親との確執…
父・武彦さんは、感情面でも愛ちゃんとの確執を抱えていました。
お父さんは、幼い頃から愛ちゃんのマネジメントを手掛けていましたが、卓球経験がないため、時にちぐはぐな結果が出ることも。
2008年の北京五輪でメダルを逃した頃から、父娘の関係は悪化し、2008年の年末を最後に、2人が会う事はなくなりました。
武彦さんは晩年、秋田県湯沢市の温泉関連会社で役員を務め、平穏な日々を送りましたが、やがて病魔が襲います。
2013年10月、父・武彦さんは肝臓がんのため、秋田県の病院で亡くなりました。
享年71歳。
娘に見送られることはありませんでした。
愛ちゃんは、父の訃報に接し、

父がいなければ、私は生まれてくることもなかったですし、今の成長した私があるのも、多くの方々が応援してくださる環境があることも、父の影響によるものが少なくありませんでした。そういったことについては、父に感謝しております。
と、コメントしています。
◆母親は卓球の師
①卓球経験者の母
福原愛さんのお母さんの名前は、福原千代さん。[2]
母・千代さんは卓球経験者であり、3歳で卓球を始めた愛ちゃんに、卓球のイロハを教えた先生でもありました。
1日4~5時間と言われる猛特訓は、小学6年の全日本選手権を最後に、指導を離れるまで続きます。
愛ちゃんと言えば「泣きむし愛ちゃん」。
泣きながら卓球台に向かう愛ちゃんと、厳しい面持ちで指導する母・千代さんの姿を記憶している人も多いのではないでしょうか?
実際は、愛ちゃんが泣いていたのは4歳の時だけで、千代さんの顔がこわばっていたのは、テレビカメラに緊張していたからなのだそうです(^^;)

②母親は中国人…?
ところで、母・千代さんは
中国人ではないか?
という噂がネット上であるようです。
これは、中国は卓球が強いことと、愛ちゃんが中国語が堪能であることなどが根拠となっているようです。

明確に否定する根拠もないものの、母・千代さんは日本人で間違いないでしょう
千代さんは、栄養面でも愛ちゃんの活躍を支えました。
愛ちゃんは、大きな大会が始まると緊張・疲れから食が進まなくなり痩せてしまいます。
このため、大会前は多少体重を増やして臨むことが多いのだそうです。
アテネ五輪では、大量のおにぎりを会場に持参しましたが、入り口のセキュリティ・チェックで、
爆弾ではないか!?
と係員に止められた事もあります(゚д゚)!
千代さんは60歳を過ぎて、調理師の専門学校に通い始めました。
これも大会や帰国時、娘に差し入れる弁当の栄養知識を増やすためでした。
また、千代さんは愛ちゃんに算数を教えるとき、「答え」を先に明かしたそうです。
実際に考えさせたのは「過程」であり、どう答えを導くのかを大切にしてきました。
長年、愛ちゃんに課せられていた問いの答えは「五輪のメダル」。
その道のりを考えながら、母娘で歩んできた20年。
2012年のロンドン五輪でようやく「答え」にたどり着いたのでした。
◆10歳年上の兄
福原愛さんにはお兄さんがいて、名前は福原秀行(ふくはら・ひでゆき)さん。[3]
年齢は、愛ちゃんより10歳年上になります。
愛ちゃんが卓球を始めたのは、兄・秀行さんがきっかけとなりました。
実は、卓球の「英才教育」を最初に受けたのは、秀行さん。

さては、赤ん坊のころからラケットを握らされ、壮絶な生い立ちがあるのか…?
と思いましたが、意外にも卓球を始めたのは中学に上がってからだそうです(^^;)
しかし、
どうせならトップを目指せ!
と、発破をかけるお父さんの方針により、コーチを仙台に呼び寄せ、毎日の特訓が始まりました。
愛ちゃんはいつも、本を読みながら練習が終わるのを待っていましたが、お母さんもお兄さんにかかりきりに…。
寂しい思いをした愛ちゃんは、お母さんにこう頼んだのでした。

私も卓球がやりたい!
秀行さんは、お父さんと愛ちゃんが離れた2008年から、「千秀企画」という事務所を立ち上げ、マネジメントを担当してきました。
ちなみに愛ちゃんは、2016年より家族から独り立ちし、電通の系列会社にマネジメントを委託しています。
◆台湾人の夫
福原愛さんは2016年9月、27歳で結婚しています。
夫の名前は、江宏傑(ジャン・ホンジェ)さん。[4]
1989年2月22日生まれなので、愛ちゃんより1歳年下(同学年)になります。

江さんは、台湾新竹市の出身。
リオ五輪では卓球の台湾代表を務めた選手です。
2人の馴れ初めは、2014年末に愛ちゃんが腰痛を発症したこと。
長期欠場を余儀なくされた愛ちゃんを、江さんが熱心にサポートしたことで、交際がスタートしました。
プロポーズは言葉ではなく、新しい家に連れていかれ「鍵」を渡されました。

この家の主人になっていただきたい
という意味が込められていたそうです。
しかし愛ちゃんは、遠回しのプロポーズが理解できず、

さっきのはプロポーズだったの?
と、後から確認しています。
◆子供が2人
福原愛さんには、2人の子供がいます。
第1子は、2017年10月13日生まれの女の子で、名前はあいらちゃん。[5]
第2子は、2019年4月3日生まれの男の子です。
インスタに夫と子供の写真がありますが、とても幸せそうですね。
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◆義姉の存在
夫の江宏傑さんには姉がいて、名前は江恆亘(ジャン・リガ)さん。[6]

愛ちゃんから見たら、義理のお姉さんですね
義姉の江恆亘さんは、2020年9月、当時39歳で女優デビューしたことで話題となりました。
愛さんの友人は、義姉について
- 性格がきつく、周囲からも“モンスター”扱いをされる存在
- 生活は親に依存していて、クレジットカードを作れないほど借金している
- 愛ちゃんは江君にお姉さんを紹介された際、『彼女の言うことに絶対NOと言わないでね!』と念を押された
と、証言しています。

お義姉さんの存在が、夫婦関係に影響しなければいいのですが…
◆まとめ
福原愛さんの「愛」という名の由来は、母方の祖母である「愛子さん」から一字もらったものです。
みんなに愛されるような子に…
という願いを込め、父・武彦さんが命名しました。
家族の温かい愛情に支えられて、愛ちゃんの更なる挑戦は続いて行きます!
◇編集後記
福原愛さんが愛用する腕時計を見つけました。
ガガミラノのマヌアーレ48㎜ですね。
ガガミラノマヌアーレ48MMユニセックス5011.02S [輸入輸入品]
懐中時計からヒントを得たというデザインはユニークで、すべて手巻き式というのも味があります。
男女兼用サイズなので、大切な人と一緒に使えますね(^_-)

◇脚注
- デイリースポーツ 2013年10月17日 愛ちゃんの父死去、近年は絶縁状態に
- スポニチアネックス 2021年2月18日 福原愛さん 母・千代さんとの関係は今でも選手とコーチ「いまだにコーチングしてもらっています」
- 女性セブン 2013年11月7日号 福原愛 亡き父の金銭問題と場当たり指導も原因で5年間断絶
- 産経新聞 2016年9月21日 福原愛、結婚会見 プロポーズは「鍵」 「頭が真っ白」に
- 女性セブン 2019年10月27日 福原愛の「モンスター義姉」 1000文字反省文の効果は
- 週刊文春 2019年9月19日号 福原愛を悩ませる“モンスター義姉問題” 39歳の芸能界デビュー

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