◆父親:石川公久さん
石川佳純選手のお父さんの名前は、石川公久(いしかわ・きみひさ)さん。
年齢は、2020年12月時点で56歳になります。[2]
父・公久さんの職業は、広告代理店(読売広告西部)の営業マン。
元々は島根県松江市の出身で、福岡大学の卓球部で鳴らしていましたが、就職してからは企業戦士へと転身しました。
そんなお父さんは、「何とかなるさ」という楽観的な性格。
佳純さんは、6歳から卓球を始め、7歳から本格的に練習に取り組みますが、すぐ「練習場がない」という難題が持ち上がります。
当時は仕方なく、車で往復2時間かけて、山口県防府市のスポーツセンターに通っていたのでした。
たまたま、家を建て替える話も持ち上がり、父・公久さんはこう言い放ちます。
卓球場を確保するためには、面積もさることながら、重量鉄骨の躯体にする必要もあり、相当なコストがかかります。
しかし、お父さんは「場当たり的」な気楽さで卓球場を実現させ、佳純さんの練習時間を確保したのでした。
奥さんは、ご主人の事をこう評しています。
そんな父・公久さんの性格は、佳純さんのゲーム運びにも表れています。
佳純は、緊張しないんです。全日本選手権などの大舞台でも、まったく普段と同じプレーができる。それに、リードされていても、まるで大差で勝っているように、のびのびと打ってくる
世界で活躍する佳純さんの原点は、お父さんの「イージーゴーイング」な性格にあったのでした。
◆母親:石川久美さん
石川佳純さんのお母さんの名前は、石川久美さん。
1963年8月7日生まれで、お父さんと同い年になります。[3]
母・久美さんは福岡大学の卓球部で活躍し、卒業後も福岡県の実業団チームで実績を積みました。
しかし、佳純さんを身ごもり、夫の公久さんが山口へ転勤になったこともあり、しばらく卓球から遠ざかります。
乳児期の佳純さんは、
①ベッドに寝かせれば泣く
②ひとりにすると泣く
③母親の顔が見えないと泣く
の3拍子。
夜泣きも始まり、完全母乳なので夜中に4〜5回は起こされるため、「7時間続けて眠ること」が、最大の夢になりました(>_<)
《画像左が佳純さん、右が母親の久美さん》
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そんな「自由時間ゼロ」の久美さんに、友人が囁きます。
夫の協力を得て時間をひねり出し、練習を始めてみると、子育ての苦労も孤独感も、球を追っている間は忘れられました。
そして猛練習を積み重ね、国体レベルまで復活した母親を、塗り絵をしながら見ている佳純さんがいました。
ある日、佳純さんは、お絵かきしていた手を休めて、こう言います。
私にも卓球を教えて…!
石川佳純、小学校1年生のときでした。
母・久美さんの英才教育を施された佳純さんは、メキメキと実力を発揮していきます。
そして、佳純さんが小学5年生のとき。
山口市で行われた大会で、久美さんとの母娘対決が実現します。
ここで、初めて娘に敗れた久美さんは、これを機に引退を決意。
現在は、年間30試合も海外を転戦する娘に帯同し、日本から米と炊飯器を持参して食事面からサポートしているそうです。
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