中日ドラゴンズの監督をつとめる、井上一樹さん。

ニックネームはピンキーです!
今回は、そんな井上さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1971年〈昭和46年〉7月25日
血液型 :A型
身長体重:184cm/93kg
家族構成:
【実 家】父親、母親
【独立後】妻、娘
◆実家・生い立ち
井上一樹さんは、鹿児島県姶良郡溝辺町(現:霧島市)の出身。
地元の霧島市立陵南小学校、霧島市立陵南中学校へ通いました。
小学校時代にソフトボールを始め、中学校時代は部活の軟式野球部に所属しています。
一方で、中学3年生の夏休みに上京し、親類にあたる大相撲の井筒部屋を訪れました。
角界入りを前提とした部屋見学で、

力士になる!
と井上さんも一度は腹を決めています。
しかし9月になると事態は大きく変わりました。
夏の甲子園で鹿児島商を4強に導いた塩瀬重輝監督が、直々にスカウトにやってきたのです。

桜島打線って呼ばれて、そりゃ大変なフィーバーでした。僕もかじりついて見ていたし。その監督さんが直々に来たんだから
こうして高校は、鹿児島市立鹿児島商業高等学校へ進学。
投手兼外野手として活躍し、高校2年生のとき甲子園出場を果たしました。
井上さんはこの時の記憶を

行進のときに鳥肌が立ったことが忘れられない。これのために頑張ってきたんだと思った
と語っています。
甲子園での敗退後、甲子園の砂を集めていたら同級生の選手から
何やってるんだ!来年も来るんだろ!
と言われ、砂を一度は戻したものの、後からこっそり集め直したそうです😅
3年夏は県大会決勝まで進みましたが、鹿児島商工を相手に延長15回二死まで投げるも惜敗。

砂を持って帰ってて良かったですね
高校通算40本塁打を記録し、野手・投手の双方で注目を集めました。
1989年のNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから2位で指名を受け、プロへの道を歩んでいます。
◆父親
◆母親
井上一樹さんの母親に関する情報はありません。
◆兄弟
◆妻
井上一樹さんの奥さまの名前は和枝さん。[1]
1970年頃の生まれなので、井上さんとは同年代となります。
妻・和枝さんは愛知県稲沢市出身で、歯科助手をされていました。
◆子供
井上一樹さんには、娘さんが一人います。[1]
◆まとめ
◇脚注
- スポーツ報知 2003年11月29日 第5回受賞者(2003年) 中日・井上一樹





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