珠玉のメロディーメーカー、桑田佳祐さん。
将来の夢はプロボウラーでした!
今回は、そんな桑田さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1956年〈昭和31年〉2月26日
身 長:170cm
血液型 :A型
出身地 :神奈川県茅ケ崎市
◆茅ケ崎の実家
桑田佳祐さんは、神奈川県茅ケ崎市の出身。
実家は何回か転居しましたが、すべて茅ケ崎市内でした。
そして小学校高学年から住んだ実家は、洒落たリビングとダイニングキッチンがある「和洋折衷の家」。
家に帰れば、パーコレーターでコーヒーを煎れ、オープンリール・デッキでグレン・ミラー楽団を聴き、洒落たリヴィングに置かれたテレビで『アイ・ラブ・ルーシー』を見るような生活でした。
湘南の洒落た生活だったんですね。
実は本籍は、福岡県北九州市若松区なのだそうです。[1]
◆父親の職業は?
桑田佳祐さんの父親の名前は、桑田久司(くわた・ひさし)さん。[2]
父・久司さんはは満州からの引揚者であり、
- 湘南の地方新聞の記者
- 映画館の支配人(大黒館。後に茅ヶ崎国際劇場と改名)
- 小田原市の西洋料理店「grill KONOMI」の雇われ支配人
- バーの経営
- 小津安二郎さんの運転手
- パシフィックホテル茅ヶ崎にビリヤードと麻雀の店を出店
など、多彩な職業を手掛ける実業家でもありました。
2004年3月6日、77歳で亡くなっています。
◆母親との2ショット画像
桑田佳祐さんの母親の名前は、昌子さん。
母・昌子さんは父親と共同でバーを経営したほか、平塚市で割烹も経営しています。
1994年に逝去。 2019年3月20日に放送された、NHK『桑田佳祐大衆音楽史ひとり紅白歌合戦』で、母・昌子さんとの2ショット写真を披露しています。
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◆姉の名はエリー
桑田佳祐さんにはお姉さんがいて、名前は岩本えり子(いわもと・えりこ)さん。
1952年〈昭和27年〉8月18日生まれなので、桑田さんより4歳(3学年)年上になります。
姉・えり子さんは小学校高学年になると、忙しい両親に代わり、食事の支度など桑田さんの世話をしてくれました。
桑田さんと言えばビートルズからの影響が大きいと言われていますが、桑田さんにビートルズを教えたのも、えり子さんでした。
そんなえり子さんは、1975年に渡米。
その際、えり子さんとの別れを惜しんで桑田さんが作った曲が『いとしのエリー』だったとも言われています。
ただ、所属事務所によると、『いとしのエリー』は、原由子さんに向けて作った曲で、加えてエリック・クラプトンへの思いなど、複合的な思いが重なり合って完成したものなのだそうです。
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