「安打製造機」の異名をとる、ヒューストン・アストロズの青木宣親(あおきのりちか)選手。
今回は、そんな青木選手を育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は宮崎県日向市
青木宣親選手の実家は、宮崎県日向(ひゅうが)市。
青木少年は、日向市立日知屋(ひちや)小学校の1年生の時、「全日知屋スポーツ少年団」の一員となり、野球を始めました。
6年生時には投手として県大会で優勝しましたが、続けて進んだ日向市立富島中学校は、チームがそれほど強くありませんでした。
宮崎県立日向高等学校では2年生からエースとなり、3年生の春季大会で優勝を果たすも、夏の大会は準々決勝で敗退。
青木選手、甲子園出場の夢は叶いませんでした(T-T)
プロ入り後に活躍した青木選手は、2007年、両親に家をプレゼント。
老後のことも考えて平屋にしたい
とされた新しい実家の玄関の棚には、ヤクルト時代のタイトルの盾が飾られました。
その後も青木選手はタイトルを重ねているので、実家の棚には入りきれなくなっているかもしれませんね(^_-)
◆父親の職業は?
青木宣親選手のお父さんの名前は、青木人志さん。
年齢は、今年(2017年)で70歳になります。
父・人志さんの職業は、保険代理店である株式会社青木商事の経営者で、現在は、会長職を務めています。
青木選手のメジャー入りが決まった時は、
本人からは『いい感触』と聞いていたけど、交渉ごとなので安心しました。初心に帰って、がんばってもらいたい
と喜びを語っています。
◆母親のエピソード
青木宣親選手のお母さんの名前は、青木香澄さん。
年齢は、今年(2017年)で64歳なので、お父さんより6歳年下になります。
2014年、ロイヤルズ時代がワールドシリーズ制覇をかけた一戦では、母・香澄さんも日向市内のパブリックビューイングで観戦。
ワールドシリーズ制覇は逃しましたが、
また、世界一を目指して頑張ってほしい。幼少の頃からボールを追いかけてきたあの子の姿を走馬燈のように思い出した。体調が悪い中、よく頑張って、多くの方に応援された。この感激を味わえて私は幸せ者
と息子の健闘をたたえました。
◆兄弟はラグビー選手
青木宣親選手には、お兄さんが2人います。
2人とも野球ではなくラグビーをしており、兄弟が通った日向高校は、ラグビーの名門校でもありました。
なぜ、青木選手だけ野球の道に進んだのか、不思議ですね(@_@)
◆長兄・青木将太さんの勤める会社は?
上のお兄さんの名前は、青木将太さん。
年齢は今年(2017年)で40歳になります。
将太さんは、イタリア寝具メーカー「マニフレックス」のアジア総代理店である「フラグスポート」という会社に勤めています。
◆保険会社を継いだ次兄
下のお兄さんの名前は、青木貴寛さん。
年齢は、今年(2017年)で39歳になります。
次兄の貴寛さんは、お父さんから保険会社を引き継いでおり、現在、株式会社青木商事の代表を務めています。
コメント
なぜ、青木選手だけ野球の道に進んだのか、不思議ですね(@_@)
→2人とも野球してましたよ。
途中でラクビーに転向しただけです。
コメントありがとうございます。そういうことだったんですね!