寬仁親王を公私ともに支えた、親王妃・信子さま。
実兄は麻生太郎です!
今回は、そんな信子さまを取り巻く『家族』の物語です。
身位敬称:親王妃/殿下
生年月日:1955年〈昭和30年〉4月9日
お 印:花桃(はなもも)
出身大学:英国ロスリンハウス・コレッジ
◆実家・麻生家の華麗なる家系図
寬仁親王妃 信子さまは、麻生セメント会長・麻生太賀吉(あそう・たかきち)さんの三女として生まれました。
母親は、第45代内閣総理大臣・吉田茂(よしだ・しげる)さんの長女・和子さん。
実兄は、第92代内閣総理大臣を務めた、麻生太郎(あそう・たろう)さんという、華麗なる一族です。
◆家族構成
寬仁親王妃 信子さまの実家の家族構成は、父親、母親、長兄、次兄、長姉、三兄、次姉、信子さまの8人家族です。
自身は1980年に結婚され、寬仁親王との間に、2人の御令嬢がいらっしゃいます。
◆父・麻生太賀吉
信子さまの父親の名前は、麻生太賀吉さんです。
生年月日:1911年〈明治44年〉9月29日
没年月日:1980年〈昭和55年〉12月2日
出生地 :福岡県嘉穂郡飯塚町(現飯塚市)
父・太賀吉さんは、先代・麻生太郎(あそう・たろう)さんの長男として生まれました。
1931年、祖父の経営する麻生商店に入社し、1934年に社長就任。
関連会社である麻生鉱業と麻生セメントの社長も務めています。
1949年、首相となった岳父・吉田茂(よしだ・しげる)さんを補佐するため、衆議院議員総選挙に立候補し当選。
以後3期務めましたが、吉田内閣の総辞職と共に政界を引退し、実業界に戻りました。
1980年12月、信子さまの結婚を見届けた後に亡くなっています。
◆母・麻生和子
信子さまの母親の名前は、麻生和子(あそう・かずこ)さんです。
生年月日:1915年〈大正4年〉5月13日
没年月日:1996年〈平成8年〉3月15日
出生地 :中華民国安東市
母・和子さんは、外交官だった吉田茂さんの三女として、中華民国で生まれました。
茂さんが駐英大使となり、家族でロンドンにいたころ、白洲次郎(しらす・じろう)さんの紹介で太賀吉さんと出会い、帰国後に結婚。
1951年のサンフランシスコ講和条約には、総理大臣の父茂に私設秘書として随行しました。
これらの出来事は、1993年12月に刊行された著書『父 吉田茂』で紹介されています。
1996年、和子さんは満80歳で亡くなりました。
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