作家・政治家として時代を駆け抜けた、石原慎太郎(いしはら・しんたろう)氏。
今回は、そんな石原氏を支えた『家族』の物語です。
◆実家は武田の武士
石原慎太郎さんの本家は、戦国最強を誇った武田武士の残党だったそうです。
祖先には弓の名手がいて、戦(いくさ)で活躍し「七つ矢車」の家紋を許されていました。
やがて祖先は松山に流れて「服部」姓を名乗り、石原氏の祖父の代から「石原」姓を名乗ったのだとか。
こうした経緯のため、石原家の家訓は
明日の戦、わが身無念と心得べし
「いつでも死を覚悟せよ」のような意味ですが、石原氏の生き様そのものだと思います。
石原氏自身は、兵庫県神戸市で生まれ、小樽(北海道)を経て、逗子(神奈川県)に落ち着きました。
神奈川県立湘南中学(後の湘南高等学校)に進みましたが、立身出世主義的な校風に反発し、胃腸の病を口実に1年間休学。
休学中は文学・美術・演劇・音楽・映画に明け暮れ、フランス語を学習していたそうです。
また、高校在学中に東京裁判を二度、傍聴しています。
◆父親の職業は山下汽船勤務
石原慎太郎さんの父親の名前は、石原潔さん。
父・潔さんは、身長175cm、体重は80キロある大柄で、あだ名は“クマさん”だったそうです。
慎太郎さんも、弟の裕次郎さんも身長が高いのは、お父さんの血筋なのでしょう。
潔さんは愛媛県長浜町(現大洲市)に生まれ、旧制宇和島中学(現在の宇和島東高校)を中退し、山下汽船に入社しました。
店童(てんどう・無給の下働き)からのスタートでしたが、最後は関連会社の重役にまで出世しています。
お父さんは出世するために、無理をすることもあったのでしょう。
明日の戦、わが身無念と心得べし
を実践し、毎晩接待で酒を飲み続けて、脳溢血で急逝しました。
石原氏は父の死後、山下近海汽船(子会社)の社長から、一橋大学への進学と公認会計士の取得を強くすすめられます。
そうして1952年、一橋大学法学部に入学した石原氏でしたが、柔道部とサッカー部の活動に精を出し、半年で公認会計士を断念(>_<)
学内同人誌『一橋文芸』の復刊にも尽力する中で、文筆家としての才能を発揮していきます。
◆母親は宮島出身
石原慎太郎さんのお母さんの名前は、石原光子さん。
母・光子さんは広島県の生まれで、実家は厳島神社(安芸の宮島)の参道で土産物店を営んでいました。
継母と折り合いが悪かったという光子さんは、神戸に出て第二高等女学校に進学し、卒業後は絵描きを目指して上京。
当時の女性としては、異例の行動力だと思います(゚д゚;)
母・光子さんは、慎太郎さんいわく
なんか言わなくていいことを言って、平気で相手をコキオロシたりする
という性格だったそうで、慎太郎さんに似ていますね(^_^;)
石原氏が高校一年の時、学生運動に傾倒し、日本共産党へのヒロイックな気持ちにかられていた時期がありました。
お母さんは、そんな石原氏にこう話します。
大衆のために両親や弟を、そして地位も財産も捨て、獄につながれても後悔しない自信があるなら、私は反対しないが、その覚悟をしてほしい。それならお父さんがどんなに反対しても、私は賛成する
この言葉に慎太郎さんは、次の日から学生運動を離れたそうです。
母・光子さんは1986年に、
おばあちゃんの教育論―慎太郎・裕次郎もこのおふくろには頭があがらない
という書籍を刊行。
光子さんはペンを執ったきっかけについて、次のように語っています。
最近の若いお母さんを見ていると、子どもをいい学校、いい会社に入れることにだけ一生懸命になったり、「うちの子が悪くなったのは友だちが悪いからだ」と言い出してみたり、子どものご機嫌とりに走ったりなど、子育てでは何がたいせつなのかを忘れてしまっている
◆銀幕から消えた弟・裕次郎よ…
石原慎太郎氏の弟といえば、元俳優の石原裕次郎さん。
1934年12月28日生まれなので、慎太郎さんより2歳年下になります。
慎太郎さんが芥川賞をとった「太陽の季節」の映画作品で、裕次郎さんは銀幕デビュー。
続く、慎太郎氏原作の映画化作品「狂った果実」では、後に妻となる北原三枝さんを相手役に主演を務め、 スターの座を確保しました。
裕次郎さんは「銀座の恋の物語」など、歌手としても評価が高いですが、紅白歌合戦からのオファーに対しては、
私は俳優。歌は素人で、紅白は歌手の方が出るところ
と丁重に断り、意外にも紅白出場歴はありません。
1981年、裕次郎さんは「西部警察」の撮影中に倒れ、「乖離性大動脈瘤」と診断。
生存率3%
と言われましたが、手術後に驚異的な回復を遂げ、無事に退院しています。
弟の急病を聞いたとき、慎太郎さんは小笠原諸島にいたため、海上自衛隊飛行艇を呼び寄せて帰京。
燃料代が160万円かかったということで、公私混同として問題になりました(~_~;)
裕次郎さんは、1984年に肝臓がんが発覚。
その後は入退院を繰り返し、1987年7月、遂に還らぬ人となりました。
享年52歳。
1996年、慎太郎さんは、弟の裕次郎さんをテーマとした小説『弟』を発表。
100万部を超えるミリオンセラーを記録するとともに、ドラマ化もされ、多くの人が石原兄弟の絆に触れる作品となりました。
◆妻・石原典子さん
石原慎太郎さんの奥さんの名前は、石原典子さん。
旧姓は石田、名前も昔は「由美子」さんというお名前でした。
妻・典子さんは1938年1月1日生まれなので、慎太郎さんより6歳年下になります。
父親が出征していたため、母親の実家である広島で生まれた典子さん。
父親は、中国戦線で敵の弾丸を受け、典子さんを抱っこすることもなく亡くなりました。
12歳の頃、母親同士が知り合いだったことから、慎太郎さんと知り合います。
そして18歳で結婚。
結婚したきっかけは、慎太郎さんと連れ込み宿から出てくるのを親せきに見つかり、
切れるか結婚するか、どっちだ?
と問い詰められ、仕方なく
結婚します
と答えたことでした(^_^;)
妻・典子さんは4人の男児を生んだ後に、一念発起して、慶應義塾大学法学部政治学科に入学。
卒業後、「妻がシルクロードを夢見るとき」を刊行しました。
後年には、父親が戦地から送った75通の手紙を読み解いて、公表した「君よ わが妻よ」を公表しています。
◆息子は5人?
石原慎太郎さんには、4人の息子さんがいて、各界で活躍されています。
「息子は5人」という説もありますが、その件は後ほど…
◆長男・石原伸晃さん
石原慎太郎さんの長男は、石原伸晃(のぶてる)さん。
1957年4月19日生まれなので、今年(2017年)で60歳になります。
伸晃さんは、中学校から慶應に通い、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学文学部を卒業。
大学卒業後、1981年に日本テレビへ入社し、報道局で大蔵省や外務省、首相官邸担当として活躍しました。
1990年、衆院選に初出馬・初当選して以来、一貫して政治家の道を歩み続けています。
◆次男・石原良純さん
石原慎太郎さんの次男は、石原良純(よしずみ)さん。
1962年1月15日生まれなので、今年(2017年)で55歳になります。
良純さんは幼稚園から慶應の幼稚舎で、大学まで慶應一筋。
大学在学中の1982年、叔父の石原裕次郎氏が社長を務めていた石原プロモーションに入社して、芸能界入りしました。
その後、現在に至るまで、俳優・タレント・気象予報士として、幅広く活躍しています。

◆三男・石原宏高さん
石原慎太郎さんの三男は、石原宏高(ひろたか)さん。
1964年6月19日生まれなので、今年(2017年)で53歳になります。
宏高さんも幼稚園から慶應の幼稚舎で、慶應義塾大学の経済学部を卒業。
大学卒業後は、日本興業銀行で活躍した後、2005年の衆院選に立候補して初当選。
以降は現在に至るまで、父・兄と同じく、政治家の道を歩んでいます。
◆四男・延啓さんは画家として活動
石原慎太郎さんの四男は、石原延啓(のぶひろ)さん。
延啓さんも慶應義塾大学経済学部を卒業しますが、その後、さらにスクールオブビジュアルアーツ(ニューヨーク)ファインアート科に進学し、卒業しました。
現在は、東京、ニューヨークなどを中心に個展を開くなど、画家として活動中です。
石原慎太郎氏が都知事時代の2001年にスタートさせた事業に「トーキョーワンダーサイト(TWS)」というものがあります。
TWSは、若手芸術家の支援事業ですが、外部役員に延啓さんが就任。
延啓さん自身がまだまだ鼓舞されるべき存在なのに、若手作家を鼓舞する仕組みづくりに自ら委員としてかかわるのはおかしい
と批判を浴びたこともあります。
◆認知した子供
実は、石原慎太郎さんにはもう一人子供がいます。
慎太郎さんが49歳のころ、22歳のホステスと交際し、女性が妊娠。
彼女は慎太郎さんが泊まっているホテルに押しかけ、
どうしてくれるのよ!
と問い詰める修羅場もあったのだとか(^_^;)
結局、石原プロの幹部が間に入り、店のママと対応を協議。
女性は男の子を産み、故郷の新潟に帰り、慎太郎さんは養育費と学費の面倒を見ることになりました。
認知した子供は1983年ごろに生まれているので、30歳を超えています。
慎太郎さんがそれまで子供に会うことはありませんでしたが、週刊誌で隠し子報道が流れると、慎太郎さんは
あなたたちのおかげで息子から連絡が来て、今度、初めて会うことにしましたよ
と発言。
数奇な運命の親子は、対面を果たせたのでしょうか?
◆まとめ
石原慎太郎さんは、裕次郎さんの最期に願ったことは、出来るだけ早く弟が死ぬことだったそうです。
もういい、裕さん、もういいよ、もう死んでもいいんだよ
周囲をはばからず、弟に向かって、繰り返し繰り返し叫んだそうです。
裕次郎さんが亡くなると、
よかったなあ…
と、慎太郎さんはつぶやきます。
そこには、思わずほっと息をつくほど安らかな、裕次郎さんの安息がありました。
石原慎太郎さんの過熱気味ともいえるエネルギーは、裕次郎さんの分まで生きている「証し」なのかもしれません。
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