荒川静香の『家族』~実家の父はNTT社員…外科医の夫との間に娘と息子

元フィギュアスケート選手で、2006年トリノオリンピック金メダリストである、荒川静香さん。

山本リンダさんのモノマネが得意です!

今回は、そんな静香さんを取り巻く『家族』の物語です。

名  前:荒川静香(あらかわ・しずか)
生年月日:1981年〈昭和56年〉12月29日
身  長:166cm
血液型 :O型
出身地 :神奈川県鎌倉市
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◆実家・生い立ち

荒川静香さんは、神奈川県鎌倉市の出身。

「静香」という名前は、鎌倉に縁の深い静御前(しずかごぜん)にちなんで名づけられました。

静御前
源義経に愛され、悲運な運命を遂げた女性

1歳4ヶ月で宮城県仙台市へ、その後宮城県利府(りふ)に転居しています。

幼少時は水泳、体操、英会話、書道、そろばん、ピアノなど様々な習い事をしていました。

なかでも、3歳から始めた水泳は、6歳までに全泳法を覚えたといいます。

そして5歳のとき遊びに行った勝山スケーティングクラブでスケートに興味を持ち「ちびっこスケート教室」に入会しました。

ここが運命の分かれ道ですね

小学校は、利府町立しらかし台小学校へ通いました。

小学1年生のとき、オレンジワン泉(現・アイスリンク仙台)のスケートクラブ「泉DLLアカデミー」に入会。

長久保裕(ながくぼ・ひろし)さんの指導のもと、本格的にフィギュアスケートを始めます。

小学3年生のときには5種類の3回転ジャンプをマスターし「天才少女」と呼ばれました。

小学6年生で全日本ジュニア選手権に初出場し、7位の結果を残しています。

中学校は地元の利府町立しらかし台中学校へ進学しました。

中学まではフィギュアをやっていることを友達に知られたくなかった

という静香さん。

当時住んでいた仙台ではフィギュアをやっている人が少なく、「特異な人」と見られるのが嫌だったそうです。

しかしそういう気持ちとは裏腹に、フィギュアではどんどん結果を出してきます。

中学1年生で2度目の全日本ジュニア選手権に出場し、優勝。

以降、この大会で史上初の3連覇を果たします。

また、全国中学校スケート・アイスホッケー大会でも3連覇を達成しました。

中学2年生で出場した国際大会のネーベルホルン杯では、3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させ、シニアの部で優勝。

中学3年生でシニアの第65回全日本選手権に特例出場し、村主章枝(すぐり・ふみえ)さんに次いで準優勝しています。

高校は、アイスホッケーやフィギュアスケートが盛んなことで知られる東北高等学校へ進学しました。

高校1年生で出場した全日本選手権で、村主さんらに競り勝って初優勝。

1枠しかなかった長野オリンピック代表の座をつかみとります。

しかし、

世界から集まったトップ選手の演技にただただ圧倒された

という静香さんは、長野五輪では13位に沈みました。

大学は、自己推薦で早稲田大学教育学部へ進学しています。

◆家族構成

荒川静香さんの実家の家族構成は、父親、母親、静香さんの3人家族です。

自身は2013年に結婚しており、一般人の夫との間に娘が1人、息子が1人がいます。

◆父親はNTT勤務

荒川静香さんの父親の名前は、荒川晃市さん。[1]

1952年頃の生まれになります。

父・晃市さんの職業はNTTの社員なので、高収入だったと思います。

しかし、お金がかかるフィギュアスケートを娘にやらせるには、やりくりが必要でした。

◆競技生活を支えた母

荒川静香さんの母親の名前は、荒川佐知さん。[3]

1954年頃の生まれなので、父親より2歳年下になります。

母・佐知さんは、娘のスケート費用をねん出するために、朝3時に起きて惣菜工場のアルバイトに出かけ、その後ゴルフ場でキャディーのアルバイトをこなしました。

娘の練習を待つ車内で仮眠をとる生活だったそうです。

また、衣装を手作りすることで節約し、静香さんが20歳になるまで作り続けました。

トリノ五輪の金メダルは、静香さんと母・佐知さんの努力で勝ち取ったものなのでした✨

◆兄弟

荒川静香さんに兄弟姉妹はおらず、一人っ子です。[3]

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