浅田真央の『家族』~父親には逮捕歴が?天国の母への思い、姉・浅田舞との確執…

フィギュアスケート選手として一時代を築いた、浅田真央さん。

中国での愛称は 猫(MAO)です!

今回は、そんな真央さんを育み、支えてきた『家族』にスポットを当てご紹介します。

名  前:浅田真央(あさだ・まお)
生年月日:1990年〈平成2年〉9月25日
身長体重:163cm/47kg
血液型 :B型
出身地 :愛知県名古屋市
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◆父親には逮捕歴が?

浅田真央選手のお父さんの名前は、浅田敏治さん。[1]

1959年頃の生まれになります。

父・敏治さんは若い頃、大阪のクラブでナンバー1のホストでしたが、30歳を前に独立し、ホストクラブや風俗店などを経営していました。

1997年には、経営するランジェリーパブをめぐって、公然わいせつ容疑での逮捕歴もあるそうです。

日本を代表するスケーターの親が水商売という事で、批判の向きもありますが、スケートはとてもお金がかかるスポーツ。

お金を稼ぐことが最優先で、業種を選んでいる状況ではなかったのでしょう。

経営する店は繁盛しましたが、それでも姉妹の育成費を捻出するのは容易ではなく、自宅を担保に、消費者金融からもお金を借りていました。

いつ破産してもおかしくない状況でしたが、真央選手が15歳でGPシリーズを制覇すると、複数のスポンサーがつきました。

そして、お父さんは、ひっそりと夜の商売を離れたのでした。

そんな父・敏治さんですが、

前回のソチ五輪を観戦していたか?

が議論となったことがありました。

それは、真央選手が五輪会場でお父さんと話している様子や、観客席で応援している様子が、一切報じられなかったためです。

ソチ五輪に限らず、父・敏治さんは、メディアに全く登場しません。

水商売出身で、逮捕歴もある自分が表に出れば、2人の娘に迷惑がかかることを考慮しているのでしょう。

ソチの会場にいたのかどうか、真相は分かりませんが、真央選手の活躍を応援していたことは間違いありません。

ちなみに、父親の敏治さんは2015年5月にも逮捕されています。

交際相手の50代女性に対して、暴力を振るったため、身の危険を感じた女性が警察に通報したのだそうです。

痴話げんかが高じたのかもしれませんが、やはり暴力はいけません(>_<)

◆早逝した母親

浅田真央選手のお母さんの名前は、浅田匡子(あさだ・きょうこ)さん。[2]

お父さんとは「ホストと客」として出会い、“できちゃった婚”だったと言われています。

母・匡子さんには

バレエダンサーになりたい

という夢がありましたが、家庭の事情で断念。

お母さんの夢は娘に託され、真央選手は3歳のころからバレエ教室に通いました。

実は、フィギュアスケートを始めたのは、バレエ技術向上のため足首を鍛えることが目的でした。

しかし、真央選手はスケートで頭角を現し、小3で全日本スケートの新人発掘合宿に招集されます。

この子を金メダリストに育てる

お母さんも腹をくくり、バレエを辞めさせ、真央選手の本格的なスケート人生が始まったのでした。

真央選手が初出場を決めた2010年のバンクーバー五輪までは、いつも側にいたお母さん。

しかし、その頃から疲れが見え始め、体調が悪化していきます。

2011年に入り、病院で受けた診断は「肝硬変(かんこうへん)」。

医師からは

肝臓移植をしなければ、次のオリンピックまで生きていられないかもしれない

と告げられます。

娘の肝臓を移植するのがベストでしたが、

大事な娘の体にメスは入れられない

とお母さんは拒否します。

そして2011年12月、お母さんの体調は急変。

真央選手はカナダのGPファイナルを欠場して帰国しましたが、匡子さんの最期には間に合いませんでした。

死因はやはり肝硬変。

享年48歳でした。

実姉・浅田舞との確執…

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