ラグビー日本代表のスクラムで欠かせない名フッカー、堀江翔太選手。
今回は、そんな堀江選手を支える、お嫁さんと娘など『家族』スポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:堀江翔太(ほりえ・しょうた)
生年月日:1986年1月21日
年齢:33歳 ※2019年10月現在
身長/体重:180cm/105kg
血液型:A型
◆実家は大阪・吹田
①小学校時代
堀江翔太選手は、大阪府吹田(すいた)市の出身。
吹田市立千里新田(せんりしんでん)小学校の5年生のとき、吹田ラグビースクールに入団し、ラグビーを始めました。
きっかけは、
それまでやっていたサッカーが今ひとつ楽しめず、親の勧めで…
と、意外にも消極的。
最初はチームに馴染めなかった堀江選手でしたが、6年生で身長175㎝、体重77kgに育つと、いつの間にかチームの中心選手となりました。
②中学校時代
吹田市立南千里中学校にはラグビー部がなかったので、バスケットボール部に所属。
部活に熱中する一方、週一回日曜日に実施されるラグビースクールに参加し、現在のプレーの礎を培いました。
その甲斐あって、中学校3年生の夏、吹田市の選抜チームに選出。
しかし、なんと堀江選手は、
バスケに集中したい
という理由で、選抜チームを辞退してしまいます。
実はバスケ部でも主将を任されており、中学最後の大会を中途半端に終わらせたくなかったのでしょう。
③高校時代
高校ではラグビーをやる
と決めていた堀江翔太選手。
家庭の経済状態を考え、私立の強豪校ではなく、大阪府内の公立校で一番強かった大阪府立島本高等学校を選びました。
片道およそ1時間30分の距離を、朝練も休まずに通った甲斐があって、高校2年の段階で、どの大学よりも早く帝京大学から勧誘を受けます。
島本高校では、
打倒、私学
を掲げ、3年冬の大阪府予選で、当時全国制覇を4度成し遂げていた大阪工大高(現常翔学園高)を準決勝で倒しました。
しかし決勝では、日本一の経験がある東海大仰星高に12-36で完敗し、堀江選手の花園出場の夢は断たれました。
◆お嫁さんとの馴れ初めは?
①お嫁さんとの馴れ初めは?
堀江翔太選手は、2012年に結婚しています。
お嫁さんの名前は友加里さんで、年齢は同い年です。
お嫁さんとの馴れ初めは、なんと小学校1年生のとき。
イギリスからの帰国子女で、なかなか周囲に馴染めなかった友加里さんに、
同じ方向に家があるから一緒に帰ろう
と、話しかけたのが堀江少年でした。
2人は中学まで同じ学校でしたが、いつから交際に発展したのでしょうね(*^_^*)
②お嫁さんのサポート
堀江翔太選手の活躍の陰には、お嫁さんの献身的なサポートがあります。
30歳を過ぎて体の変化を感じた堀江選手は、遅延アレルギー(食物過敏)の検査をしました。
その結果、卵、小麦、牛乳、パンは食べられないことに。
胃にもたれるから揚げ物もNG。
お嫁さんは、これらの条件を満たす食事を準備し、堀江選手のパフォーマンスにつなげる努力をしています。
ちなみに、堀江選手のトレードマークであるドレッドヘアは、お嫁さんのお手製。
「YouTube」で勉強して、毎朝編んでくれるのだそうです。
ドレッドヘアは、スクラムを組むときに相手が嫌がる武器でもあるため、お嫁さんは海外遠征にも同行してドレットを編んでいます。
◆子供は娘が2人
堀江翔太選手とお嫁さんの間には、子供が2人います。
第1子は長女の美乃(よしの)ちゃん。
2014年5月25日生まれなので、現在(2019年10月)5歳になります。
第2子は次女の香乃(かやの)ちゃん。
2017年1月27日生まれなので、現在2歳になります。
堀江選手は、
会社やサポートの方々、ファンへの感謝も尽きないけど、ラガーマンを代表して僕らの一番のサポーターは家族、嫁です
と話しています。
◆父親の職業は?
①父親の職業は?
堀江翔太選手の父親の名前は、堀江慎一さん。
父・慎一さんの職業は、着物のセールスマンでした。
若いころの父親は、着物の営業で出張に次ぐ出張が多く、ほとんど家にいることはありませんでした。
あまりに一緒に過ごせないため、母親と兄と3人で、出張先へ面会に行った事もあります。
おやじとの思い出は本当に少ない
という堀江選手。
しかし、日本代表で成功を収めるきっかけをつくってくれたのは、父・慎一さんでした。
帝京大学を卒業後、ニュージーランドへのラグビー留学を希望した堀江選手。
国内に残ればトップリーグへの道も開けていたため、将来を案じて母親は反対します。
しかし、父・慎一さんは、
お前が決めたんやったら行ってこい
と、ニュージーランド留学を後押ししてくれたのでした。
堀江選手は、ラグビー王国で培った経験を生かし、代表の主力FWに成長しています。
②がんを患った父
父・慎一さんは大腸がんを患い、入院生活を余儀なくされます。
そんな生活の中で、慎一さんの数少ない楽しみが、堀江選手の活躍でした。
堀江選手が見舞いに来て、同室の患者に
堀江選手ですか?
と気付かれると、嬉しそうに目を細めました。
なかなか試合を見ることは出来ませんでしたが、一番応援してくれたのは父・慎一さんでした。
◆母親の画像
堀江翔太選手は幼少期、意外にも母親っ子でした。
ラグビーを始めたときも、小学5年なのに母親にしがみつき、なかなか練習に加わろうとしなかったそうです。
そんなお母さんの最近の画像がこちら。
ユニークなお母さんですね(*^_^*)
◆まとめ
『W杯までは頑張りたい』と話していたという、父・慎一さん。
しかし2019年3月、堀江翔太選手が沖縄合宿を打ち上げて大阪へ直行すると、慎一さんの意識はほとんどありませんでした。
その日のうちに息を引き取った父・慎一さんは、堀江選手の到着を待っていたのでしょう。
タイミング良く、よく頑張ってくれたから死に目に会えた
と話す堀江選手の表情は、柔らかでした。
最愛の妻のため、娘のため、そして天国の父のため。
堀江選手の挑戦は、これからも続いていきます。*゜+ ゚・。*
◇編集後記
ラグビー選手のカードって人気あるんですね。
1万円を切るものから、8万円を超えるものまであります(゚д゚;)
日本代表がワールドカップで活躍すれば、もっと値段が上がるかもしれませんね(^_-)
(堀江選手が聖火ランナーに!)
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