ラグビー日本代表として活躍する、松島幸太朗選手。
今回は、そんな松島選手を育んだ父親と母親にスポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:松島幸太朗(まつしま・こうたろう)
生年月日:1993年2月26日
年齢:26歳 ※2019年9月現在
身長/体重:178cm/88kg
血液型:A型
◆ジンバブエ人の父親
松島幸太朗選手の父親の名前は、ロドリックさん。
父・ロドリックさんはジンバブエ人で、経済記事を書く新聞記者でした。
ロドリックさんは南アフリカを拠点として活動していたので、松島選手も南アフリカの首都プレトリアで生まれています。
父・ロドリックさんはサッカーが好きだったので、松島選手も幼少期はサッカーをやっていました。
やがて日本に住むようになった松島選手が、小学校の時に描いた夢は
プロサッカー選手になりたい―――。
しかし、中学に入ると、
練習場が遠かった
という理由で、練習が楽しそうなバレーボール部に入部(^_^;)
両親は、目標を見つけられないでいる息子を憂い、父・ロドリックさんの住む南アフリカへ行かせます。
そして、南アの学校で先生に「やってみないか?」と誘われたのがラグビー。
最初はタックルを受けて驚きますが、すぐにラグビーの魅力にのめり込み、松島選手の人生は大きく動き出したのでした。
◆日本人の母親
松島幸太朗選手の母親の名前は、松島多恵子さん。
年齢は、現在(2019年9月)55歳になります。
名前から分かるとおり、母・多恵子さんは日本の人。
今から30年ほど前、非政府組織(NGO)の研究員として南アのアパルトヘイト(人種隔離)の問題に携わっていました。
母・多恵子さんは、両親に黙って単身で南アの黒人居住区に滞在していたそうなので、父・ロドリックさんとはこの頃出会ったのでしょう。
現在は社会福祉士として、様々なハンディキャップを抱える人々を支える活動を行っています。
◆兄弟はいる?
松島幸太朗選手の公式サイトを見ると、
ジンバブエ人の父ロドリックさんと日本人の母多恵子さんの一人息子として、1993年、南アフリカのプレトリアで生まれた
とあるので、兄弟はいないようです。
しかし、幼少期の松島選手はとにかくヤンチャだったため、母・多恵子さんは、
3人分の子育てをした…
と振り返っています(^_^;)
◆父親が急逝
松島幸太朗選手の父・ロドリックさんは、松島選手が高校2年時の1月に急逝しています。
47歳の若さでした。
当時、神奈川・桐蔭学園高校でラグビーに打ち込んでいた松島選手は、ショックで2日間ほど自室に閉じこもったといいます。
辛かったと思います。あんなに落ち込んだ姿は、見たことがなかったので
と語るのは、桐蔭学園の藤原監督。
ちょうど、高校日本代表の合宿がある時期で、藤原監督は辞退させることも考えましたが、
行かせてください
と、申し出たのは母・多恵子さんでした。
父の思い出と母の信念を胸に、松島選手は海外遠征に参加したのでした。
◆母親の手紙
高校在学中の3年間、松島幸太朗選手は、校長先生に年賀状を出していました。
それだけでなく母・多恵子さんからも、毎年きれいな字で手紙が送られていました。
校長先生は、
『こんな親御さんはいない』
と驚いていたそうです。
松島選手は、友達や先生に恵まれたため、出自に関するイジメはほとんどありませんでした。
しかし、小学生のころに一度だけ、松島選手は
ママの(肌の)色がいい
と漏らしたことがあります。
2018年2月の松島選手の誕生日。
母・多恵子さんは、松島選手へ手紙を渡しました。
その美しい肌の色と、きらきらした目と、自由な心がいいね
松島選手は照れくさそうに手紙を読んで
「ありがとう」
と小さく笑いました。
◆まとめ
松島幸太朗選手は、メディアの取材にこう話したことがあります。
僕は人生の転機で自分を導いてくれる人たちに出会えた。その始まりは、母親です
天国の父と最愛の母の応援を胸に、松島選手の挑戦はこれからも続いていきます(^o^)丿
◇編集後記
ラグビー選手のカードって人気あるんですね。
1万円を切るものから、8万円を超えるものまであります(゚д゚;)
日本代表がワールドカップで活躍すれば、もっと値段が上がるかもしれませんね(^_-)
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