華原朋美の【家族】~元夫・大野友洋と婚外子の息子…実家の父母と兄弟について

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◆父親は鉄鋼会社社長

父・下河原金道さんは、1966年に株式会社京江シャーリングを創業。[1]

JFEグループを主要取引先として鋼板の加工販売を手掛け、年商30億円の企業へと成長させてきました。

2005年、社長の座を息子に譲った後は、フィリピンで難民児童を救済するNPOを設立し、単身フィリピンで生活をしています。

朋美さんが薬物依存に陥った時は、

頑張っていきたいと思うなら、お父さんのところにおいで

というメッセージを娘に送りました。

朋美さんは、すぐにフィリピンに渡ります

貧しい子供に寄り添い、炊き出しをしたり、プレゼントを届けるなど、ボランティア活動に従事。

そのうちにだんだんと薬が抜けていき、

自分は何をしたいんだろう。どうしたらいいんだろう?

と考え、復活への意欲が湧いてきたのでした。

◆母親は那須で美術館を経営

華原朋美さんのお母さんの名前は、下河原朋子さん。[2]

お母さんは元々、朋美さんの芸能界入りに反対でした。

そのため、華原さんが高校1年の時、全日本国民的美少女コンテストの本戦に出た時は、親子面接にて

娘の芸能界入りには反対!

と発言。

本戦には出場できない結果となりました…

結局 朋美さんは、高校3年の時に渋谷の『吉野家』で、当時の事務所アバンギャルドにスカウトされて芸能界入りするのですが(^。^)

娘を心配する“母ごころ”を思わせるお母さんですが、もう一つの顔は、敏腕の実業家。

東京都江東区で『お食事処 朋』を経営するかたわら、株式会社朋コーポレーションを設立し、もろみ酢の販売では国内出荷量の1割を占めています。

さらに、栃木県那須にある『ダイアナガーデンエンジェル美術館』の経営権も取得しているそうです。

朋美さんは那須までのドライブが大好きで、那須でお母さんとお風呂に入ってリフレッシュしています。

もろみ酢との出会いも、薬で健康不良に陥った朋美さんを救うため。

皮肉なことに、母のビジネスの成功は、朋美さんの転落と表裏一体なのでした。

◆兄は介護施設を経営

華原朋美さんは、兄2人、弟1人の4人兄弟で、1人娘として生まれました。

長兄の名前は、下河原忠道(しもがわら・ただみち)さん。[3]

住宅等の設計施工や高齢者専用住宅を展開する、株式会社シルバーウッドを設立し、代表取締役を務めています。

2013年8月24日、忠道さんは朋美さんと一緒に「24時間テレビ」に出演し、薬物依存の状態だった妹の姿を、生々しく語りました。

当時の華原さんは、「顔が人じゃない」状態であり、フラフラと下着一枚で道路に出て行ってしまうこともあったそうです。

2007年6月、華原さんが所属事務所から解雇されたことを機に、忠道さんら達は、

本気でどうやって薬を抜くか?

を考え、閉鎖病棟への隔離を決意。

入所させる際は、

離せバカヤロー!

と大暴れし、兄弟3人で身体を抑え込まなければなりませんでした。

兄弟みんな、泣いていたそうです…

◆次兄も社長

華原朋美さんの次兄の名前は、下河原英道さん。[4]

2005年、お父さんの後を継いで、株式会社京江シャーリングの代表取締役を務めています。

◆弟も社長

華原朋美さんの弟の名前は、下河原征道さん。[5]

弟の征道さんは、母親の後を継いで、株式会社朋コーポレーションの代表取締役を務めています。

それではここで、朋美さん4兄弟の画像をご紹介します。

酸いも甘いも知った感じの、本当に仲が良さそうな兄弟ですね!

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コメント

  1. […] ※引用元:華原朋美の『家族』~父は鉄鋼会社 兄は介護施設 母は那須で事業 – 蜉蝣 … […]

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