古賀稔彦の『家族』~同級生妻とは離婚…再婚した妻との間に息子2人 娘が1人

「平成の三四郎」こと、柔道家の古賀稔彦さんが、がんのため亡くなりました。

今回は、生前の古賀さんを支えた『家族』をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。

名  前:古賀稔彦(こが・としひこ)
生年月日:1967年(昭和42年)11月21日
没年月日:2021年(令和3年)3月24日
享  年:53歳
出身地 :佐賀県三養基(みやき)郡
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◆佐賀県みやき町の実家

古賀稔彦さんは、福岡県久留米市で生まれました。[1]

久留米市立宮ノ陣(みやのじん)小学校に上がると、1年生の時に柔道を始めます。

小学校2年生で、佐賀県三養基郡北茂安(きやしげやす)町(現・みやき町)に引っ越し、北茂安小学校を卒業。

中学からは上京して、柔道私塾である講道学舎へ入門し、世田谷区立弦巻(つるまき)中学校に通いました。

その後、柔道の名門・世田谷学園高等学校と進み、日本体育大学を卒業しています。

実家は今でも、佐賀県みやき町にあります

◆鉄工職人の父

古賀稔彦さんの父親の名前は、古賀稔朗(こが・としあき)さん。[2]

父・稔朗さんは柔道経験者で、職業は鉄工職人でした。

その技術を活かして、庭に鉄骨を埋め込み、土台をコンクリートで固めた打ち込み用の道具を作ってくれました。

近くの神社で150段の石段を上る早朝練習にも、毎日つきあってくれました。

稔朗さんは1996年2月18日、55歳の若さで亡くなっています。

◆母親

古賀稔彦さんの母親の名前は、古賀愛子さん。[3]

生年は、1942年ごろになります。

母・愛子さんは現在も、佐賀県みやき町で暮らしていました。

古賀さんの病気のことは知らなかったそうで、

心配させまいと隠していたんでしょうね。気遣いを忘れない立派な息子だった

と語っています。

◆兄は一本背負いの師

①兄は一本背負いの師

古賀稔彦さんにはお兄さんがいて、名前は古賀元博(こが・もとひろ)さん。[4]

1965年6月25日生まれなので、古賀さんより2歳年上になります。

一足先に柔道を始めた元博さんは、常に古賀さんの同士であり目標でした。

  • 講道学舎
  • 世田谷区立弦巻中学校
  • 世田谷学園高等学校
  • 日本体育大学

と、経歴もまったく同じです。

古賀さんの代名詞といえば一本背負いですよね?

実は、古賀さんに一本背負いを伝授したのは、兄の元博さんです。

元博さんは講道学舎で、東京オリンピック金メダリストの岡野功(おかの・いさお)さんより、一本背負いを直々に伝授されて得意技にしていました。

それを弟にも厳しく指導しながら身に付けさせたのです。

②兄弟対決

古賀さんと元博さんの兄弟対決が実現したのは、1985年の新人体重別選手権でした。

この時、元博さんは日体大の2年生、古賀さんは世田谷学園高の3年生でした。

この時、元博さんは、

自分も世界を目標にしている以上、例え相手が弟でも勝ちを譲るわけにはいかない、父が息子より偉大であるように、兄も弟より強くなければならない

という気持ちで挑みます。

結果は、兄・元博さんの敗退。

この試合で弟との決定的な違いを感じた元博さんは、世界への夢を諦めることになりました。

現在、古賀元博さんは、福岡県立糸島高等学校の教員として働いています。

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