「将棋界の神童」と言われる中学生棋士・藤井聡太(ふじいそうた)四段。
今回は、そんな藤井四段を育んだ『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は愛知県瀬戸市
藤井聡太四段の実家は、愛知県瀬戸市。
3歳で入った地元の幼稚園は、「モンテッソーリ教育」という、遊びを仕事として取り入れる教育法を取り入れていました。
そのため、藤井少年は3歳から4歳にかけて、紙を編んで作る「ハートバック」という袋を毎日大量に作って家に持ち帰ります。
その数は100個に及びました。
“やり始めたらとことんやる。その集中力は最初からありました”
と母親は当時を振り返っています。
ドッジボールやボール遊びが大好きな活発な一面もありましたが、プラレールを与えると、部屋いっぱいにレールを組み立てて遊んでいました。
◆きっかけは祖母・育子さん
実家の隣には、母方の祖父母の家もあります。
藤井聡太四段が将棋を始めたきっかけは、5歳の夏、祖母の育子さんが盤駒のセットを与えたことでした。
最初は一緒に遊んだ育子さんでしたが、すぐに藤井少年にかなわなくなります。
今度は、将棋が少し指せるおじいさんに代わりましたが、そのおじいさんも勝てなくなりました。
それでも、
“将棋が指したい!”
と希望する藤井少年のため、近所の将棋教室を探すことになります。
ここから、藤井四段の運命は、将棋に向かって動き始めたのでした。
◆父親・正史さんの職業は?
藤井聡太四段のお父さんの名前は、藤井正史さん。
将棋は初心者レベルで、職業は大手住宅設備機器会社に勤めるサラリーマンです。
藤井四段は将棋に出会う前の4歳のとき、お父さんに“キュボロ”というスイス製の木製玩具を買ってもらいました。
空中に立体迷路を作って、ビー玉を走らせる知育玩具ですが、これに藤井少年ははまります。
大人でも難しい複雑な遊びですが、ひとり飽きずに何時間でもいろいろなパターンを作り続けていました。
◆母親・裕子さんの年齢は?
藤井聡太四段のお母さんの名前は、裕子さん。
年齢は、今年(2017年)で47歳になります。
お母さんも将棋は専門外で、趣味のバイオリンでアマオケに参加する以外は、普通の主婦です。
そんな母・裕子さんですが、藤井四段の成長を陰ながら支えてきました。
詰め将棋を解いたり、駒落ちの定跡を覚えたりする際に文字を書くことがあります。
しかし、まだ字を知らない藤井少年の代わりに、裕子さんが書いていました。
月に2回、名古屋から新幹線に乗って大阪の関西将棋連盟に通うときは、朝4時半に起床。
朝食の準備をして、5時に朝食を食べさせ、5時半には自宅を出発していました。
そのうち一人で通うようになった藤井少年ですが、
服と傘を全部(将棋会館に)忘れて帰ってきた
ということもあります。
母の支えもあって、最年少でプロ昇格となった藤井四段。
子供のころ、対局に負けると泣いていた息子に
“たくましくなったし、落ち着きましたね”
と成長を喜んでいます。
◆兄弟はいる?
藤井聡太四段には、4歳上のお兄さんがいます。
小さい頃の藤井少年はやんちゃで、お兄さんと一緒に走り回って遊んでいたそうです。
母の裕子さんは、
“兄はちゃきちゃきしているが、聡太はスローペース。穏やかな性格ですが、負けず嫌いではありました”
と、兄弟の性格の違いを話していました。
◆まとめ
藤井聡太四段の両親は、
“子どものやりたいようにやらせる。親はそれを温かく見守る”
という教育方針だそうです。
この姿勢が藤井四段の才能を大きく伸ばし、不世出の天才へと育んだのでしょう。
2017年に行われた「炎の七番勝負」では、羽生名人を破り6勝1敗の快挙を成し遂げました。
『家族』の応援を胸に、藤井四段の快進撃はこれからも続いていきます(^o^)丿
◇編集後記
藤井聡太四段が幼少期に愛用した、木製立体パズルの“キュボロ”。
その話が伝わるや注文が殺到し、ネットでも2020年以降にしか入手できなかったり、10万円を超える値段が付いたりと、入手困難な状態が続いています。
その中で、割とリーズナブルで、すぐに入手できる“キュボロ”を見つけました。
キュボロ シックスパック・プラス(Cuboro・sixpack・Plus) 積み木 玉の塔
6ピースしかありませんが、雰囲気を味わうのに適していますね(^_-)
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