元・おニャン子クラブの生稲晃子さんが、自身の乳がんとの闘病を公表し話題となっています。
今回は、そんな生稲さんを支える『家族』にスポットを当てご紹介します。
◆旦那の職業は?
生稲晃子さんの旦那さんの名前は、佐山智洋さん。
職業はCMプロデューサーでしたが、現在は、株式会社Mahaloの代表取締役を務めています。
株式会社Mahaloは、芸能プロダクションや企業広告を手掛ける会社ですが、飲食業も行っています。
運営しているのは、「鉄板焼き・佐吉」
佐山さんが20年以上もひいきにしているお店で、白金にある『不二』という鉄板焼屋さんの影響を受け、オープンしました。
生稲さんも、時間がある時には女将として店に出ており、洗い物をしたり、カウンターの前でビールを出したりしています。
しかし、社会人経験がないため、スタッフに「泡が多すぎです!」と叱られたりするのだそうです(^^;)
◆子供(娘)の学校と名前は?
生稲晃子さんには娘が一人いて、名前は「はーちゃん」こと遥香ちゃん。
2006年3月生まれなので、今年で9歳になります。
帝王切開で苦労して出産しましたが、娘が生まれた2日後、医者に「自己主張の強いかなり激しいお子さんになる」と言われました。
そして、実際にそのような性格に育ち、近所のスーパーに行くだけなのに、口紅を塗るぐらいオシャレ好きです。
遥香ちゃんはAKB48が大好きで、メンバーに撮ってもらった写真をいつも眺めていました。
しかし、「AKB48に入れば?」と声をかけると、「やだ。入らない。やりたくない」と答えるのだそうです。
娘が通っている学校は、東洋英和女学院小学部だと言われています。
たしかに、この学校だと六本木の豪邸から近くて、便利かもしれませんね。
◆兄の功績とは?
生稲晃子さんにはお兄さんがいます。
生稲さんがデビューしたきっかけは、「第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン」
優勝者本人に100万円、推薦者に50万円という賞金に惹かれ、お兄さんを推薦者にして、「もし優勝したら150万円山分けしよう」と応募したのでした。
惜しくも優勝は逃しますが、おニャン子クラブのオーディションの話が来ます。
おニャン子クラブのファンだったお兄さんは、オーディションの話に乗り気でしたが、当の本人は、部活を辞めたくないので消極的でした。
「おニャン子はブスが多いから、入るのは嫌だ」という暴言を、お兄さんに漏らしたこともあるそうです(゚o゚;;
いずれにしても、現在の生稲さんがあるのは、お兄さんの功績が大きいですね!
◆母親の死因は?
生稲晃子さんのお母さんは、1999年に亡くなっています。
生前は悩みを相談し、ストレスのはけ口としてもドーンと受け止めてくれたお母さんでした。
お母さんは、芸能界で成功した娘に、こう諭します。
芸能人は周りの方から良くしていただくけど、自分が偉いなんて思っちゃいけないよ。
芸能人である前に、1人の人間としてしっかり生きなさい。
生稲さんは、お母さんを亡くした時は、安心できる場所をなくした不安から、一時、闇に入り込んでしまったそうです。
ところで、お母さんが亡くなった原因は、一体何なのでしょうか?
乳がんは、遺伝性のものもあるそうなので、或いはそうだったのかもしれませんね。
◆まとめ
生稲晃子さんは、病気に負けそうになった時、自分にこう言い聞かせたそうです。
私には、まだ10歳にも満たない子供がいる
私の元に生まれてきてくれたこの子が成人するまでは負けてはいられない
頑張らなくては
家族への思い、家族からの思いを力に、乳がんを克服して欲しいですね!
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