32年間、中日ドラゴンズで活躍した山本昌投手が、50歳を区切りに引退しました。
今回は、山本投手の活躍を支え続けた『家族』にスポットを当てご紹介します。
◆父親の職業は?
山本昌投手のお父さんの名前は、山本巧(たくみ)さん。
昭和8年、長野県南信州伊那谷生まれですが、歌手を目指して上京し、7年間青果店で働きながら、作曲家の船村徹さんの弟子として歌を学びました。
1966年度の「第19回NHKのど自慢全国コンクール」に東京都代表として出場し、シャンソン・ジャズ・歌謡曲部門で優勝を飾ります。
レコード会社からデビューの誘いがあり、プロの道は開かれていましたが、当時は次男の昌投手が生まれてまもなくの時期。
デビュー後の生活に不安を覚え、夢を断念します。
その後は、保険の外交員として一家の生活を支える一方で、カラオケ教室を開き、自費でレコードを出すなど、アマチュアとして活動しました。
しかし2009年6月、横浜開港150周年のイベントにアマチュア歌手として参加したのが、レコード会社社長の耳にとまり、なんと75歳でメジャーデビューを果たします。
デビュー曲は「横浜(ハマ)の出逢い」♫
中高年の星として、NHK紅白への出場と、昌選手とのデュエットを目指しましたが、2012年4月20日、肺炎のため逝去されました。
わずか3年間の歌手生活でしたが、メジャーで発売された曲は、永遠に残り続けるでしょう。
◆母
山本昌投手のお母さんの名前は、山本幸子さん。
山本選手が、プロ野球選手として偉大な記録を打ち立てられたのは、お母さんの功績も大きかったと思います。
山本投手が高校時代、夜の10時頃に帰宅し、ドロドロのユニフォームを洗濯カゴの中に放り投げる毎日でした。
それでもお母さんが、朝の6時の朝練までに、アイロンをピシッとかけたユニフォームと弁当を用意してくれます。
プロ入りから25年、山本投手の登板日には、必ず幸運を呼ぶという四つ葉のクローバーを摘んできました。
しかし、200勝を達成する日には、応援に出発する前に探したましたが見つかりません。
それでも息子は、無事に大記録を達成するのですから、もはや運任せではではなく、実力だという事だったのでしょう。
◆兄の職業は?
山本昌投手にはお兄さんがいて、名前は山本尚司(しょうじ)さん。
野球はされていないようで、職業は日本テレビのカメラマンだと言われています。
◆弟は日大藤沢?
山本昌投手には5歳年下の弟もいて、名前は山本秀明さん。
秀明さんも野球選手であり、昌投手と同じ日大藤沢を卒業後、三菱自川崎では捕手として活躍しました。
2004年からは、兄弟の母校である日大藤沢高校野球部の監督を務め、2007年には、チームを春のセンバツ甲子園大会に導いています。
時には兄と技術論も交わしますが、可動域や関節などの理論をベースとしたアドバイスは、とても参考になっているそうです。
◆元嫁とは離婚
山本昌投手は、1989年に有美子夫人と結婚し、1991年に長女・裕里加さんを、1993年には長男をもうけます。
しかし、2011年、有美子夫人とは離婚することになってしまいました。
家族は東京・世田谷の高級住宅地に住み、シーズン中の昌投手はずっと名古屋で単身赴任だったので、心がすれ違ってしまったのでしょうね。
◆新嫁の年齢は?
山本昌投手は、2013年12月、米ハワイ州ホノルル市内で結婚式を挙げました。
新しいお嫁さんの名前は、美智子夫人。
年齢は、現在34歳で、昌投手より16歳年下となります。
美智子夫人とは共通の知人を介して知り合い、家庭的な人柄にひかれ、1年の交際を経てゴールイン。
引退登板試合の時、昌投手に花束を贈る美智子夫人の姿は、多くの人の心に残る事でしょう。
◆まとめ
引退登板から1ヶ月あまり過ぎた頃、山本昌さんはテレビ番組で、美智子夫人との間に子供が出来たことを明かしました。
長年勤めたプロ野球生活に対する「最大のご褒美です」と、うれしそうに話しています。
今後は指導者なり、生まれてくる子供にユニフォーム姿を見せて欲しいと思います!
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