◆妻との馴れ初め
①妻との馴れ初め
川淵三郎さんは、1962年12月11日、26歳で結婚しています。
奥様の名前は、康子さんです。[1]
妻・康子さんとの馴れ初めは、川淵さんが高校を出て浪人生活を送っていたころ。
南海電鉄の羽衣駅前で、羽衣学園の女生徒たちが通りかかりました。
その中で、ひときわ目立つ、長身で楚々としたたたずまいの女性に心を動かされます。
それが後に奥さんとなる康子さんでした。
後に同級生のいとこであることが分かり、名前までは調べたものの、それっきり4年が経過。
早稲田大学の3年生となっていた川淵さんは、大阪に帰省した時に、電車の中で康子さんを見かけます。
勇気を出して、
あの…淡野さん(康子さんの旧姓)でしょ?
と声をかけた川淵さん。
それから東京と大阪の遠距離恋愛を実らせ、3年後にゴールインしました。
まさにナイスゴールですね!
②結婚式
2人の結婚式は、大阪の高島屋で挙げました。
仲人は人生の師である、吉岡たすく先生です。
この時、日本代表は東京で合宿中で、合宿を抜け出して結婚式を済ませ、午後6時の飛行機で帰京。
翌日のディナモ・モスクワ戦に出場し、名キーパーであるヤシンから1ゴールを奪いました。
花嫁に捧げるゴールとなりました
◆2人の娘
川淵三郎さんには、娘が2人います。[1]
長女の名前は純子さん。
次女は英子さんです。
◆まとめ
川淵さんは幼いころ、「三郎」という名前が好きではありませんでした。
兄たちにくらべ、名前が“手抜き”に感じられたためです。
そんな息子の気持ちを知った母・淑子さんは言いました。
「三郎」は一か八かの面白い人生を歩む名前らしいよ
この言葉は、川淵さんの人生を大きく変えるひと言となりました。
以来、難局に直面するたびに、
どうせ俺の人生、一か八だから
と割り切り、大きな決断を可能としています。
これまで見てきた通り、川淵三郎さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、川淵さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- 日本経済新聞 2008年2月1日~29日 私の履歴書 川淵三郎
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