元大蔵省キャリアで、現在は政治家として活躍する、片山さつきさん。
元ミス東大です!
今回は、そんな片山さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
旧 姓:朝長さつき(ともなが・さつき)
生年月日:1959年〈昭和34年〉5月9日
出身地 :埼玉県さいたま市
出身大学:東京大学法学部
◆実家・朝長家
片山さつきさんの旧名は朝長さつきさん。
実家・朝長家は、1500年代の中ごろ、肥前の国(今の佐賀県の大半)から、大村藩主に従って大村長崎入りした、7人の奉行の一人です。
江戸初期には、朝長伊勢守と名乗り、大村藩の家老職でした。
さつきさんの曽祖父である、朝長熊平氏は、幕末に「大村37士」を結成し、藩主に、
幕府側から薩長につくように
と進言。
戊辰の役でも活躍し、大村藩を、薩長土肥につぐ地位に引き上げた人物です。
◆父親・朝長康郎
片山さつきさんの父親の名前は、朝長康郎(ともなが・やすろう)さん。[1]
1921年〈大正10年〉1月22日生まれになります。
父・康郎さんは長崎県長崎市の出身で、東京大学理学部の数学科を卒業。
数学者として活躍し、宇都宮大学名誉教授を務めました。
本も出されています。
2014年4月17日、93歳で亡くなられています。
◆母親
片山さつきさんの母親の名前は、朝長規(ともなが・のり)さんです。[2]
母・規さんは、2011年2月15日に86歳で亡くなっています。
◆兄弟姉妹
片山さつきさんに兄弟姉妹はなく、一人っ子です。[3]
◆元夫・舛添要一
片山さつきさんは2度の結婚を経験されています。
最初の夫は、元東京都知事の舛添要一さんです。
生年月日:1948年〈昭和23年〉11月29日
出身地 :福岡県北九州市
出身大学:東京大学法学部
経 歴:元厚労大臣、元東京都知事
1948年11月生まれでなので、さつきさんより10歳年上になります。
2人は1986年に結婚していますが、馴れ初めはお見合いでした。
舛添さんと結婚したことがそもそも間違いであったと思います。愛のない結婚をしてはいけないということ。私の人生における大変大きな間違いだった
こう振り返る結婚生活は、わずか2年3ヶ月しか続きませんでした。
離婚の理由は、舛添さんのパワハラ。
一旦怒り始めると、舛添さんは怒鳴り散らし、手当たり次第にモノを投げ、ある時には沢山のサバイバルナイフを片山さんの目の前にズラーッと並べました。
舛添さんは、ナイフのコレクションが趣味だったのですが、刃先を片山さんに向けたことも…(>_<)
こうなると、結婚生活どころではありません…
片山さんは弁護士に離婚を相談しますが、弁護士の調査では舛添さんに愛人がいて、愛人が妊娠中であることも発覚。
激怒した片山さんは、今度は自分がバッグに包丁を忍ばせて、2人の密会現場に踏み込みます。
真っ先に部屋を飛び出した舛添さんが逃げ込んだ先は、また別の愛人宅だったそうなので、もう滅茶苦茶ですね(^_^;)
コメント
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