経済産業大臣や自由民主党幹事長などの要職を歴任する、二階俊博さん。
田中角栄氏の「最後の弟子」と呼ばれています!
今回は、そんな二階幹事長の後継者である3人の息子さんと、議員生活を支えた夫人にスポットを当て、ご紹介します。
◆家族構成は夫人と3人の息子
二階俊博さんの家族構成は、夫人と3人の息子さんです。
政治家としては、息子さんが3人もいるのは心強いですよね。
それでは、息子さんたちからご紹介してまいりましょう。
◆息子①後継者は長男?
①-1.後継者と目された長男
二階俊博さんの長男の名前は、二階俊樹(にかい・としき)さん。
1965年4月26日生まれになります。[1]
長男・俊樹さんは早稲田大学を出て、証券会社に就職しましたが、じきに退職。
その後、20年以上にわたり、父親の秘書を務めてきました。
長男は大柄で、顔は二階幹事長によく似ており、“父の後継者”と目されてきました。
そして2016年5月。
長男の俊樹さんは、満を持して地元・和歌山県の御坊(ごぼう)市長選挙に立候補します。
しかし、結果は落選(>_<)
俊樹さんの得票は、対立候補のわずか6割(約5800票)にすぎませんでした。
①-2.長男の評判
市長選に惨敗した理由は、長男・二階俊樹さんの評判の悪さ。
- 市役所で職員に暴言を吐いた
- 警察に対しても横柄
- 親父さんをバットを持って追いかけた
- 以前、鶴保さん(庸介・参議院議員)を“けしからんと怒鳴りつけてやった”と自慢していた
- 彼の元に行った県知事の秘書が“もう二度と行きたくない”とこぼしていた
- 食事に行き、ちょっと不手際があっただけで『二階なんやわかっとるんか』と怒鳴り散らす
など、悪評の枚挙にいとまがありません。(週刊新潮、週刊朝日の記事を集約)
当の本人は、
と弁明していますが、火のないところに煙は立たずと言ったところでしょうか。。。
劣勢を危惧した二階幹事長は、応援の国会議員を次々と送り込みます。
稲田朋美(いなだ・ともみ)政調会長(当時、以下同じ)、森山裕(もりやま・ひろし)農水大臣、小泉進次郎(こいずみ・しんじろう)農林部会長…
応援した候補が高い当選確率を誇ることで知られる進次郎さんは、
と訴えましたが、
“息子は頭を下げないからねえ”
と、聴衆は鰾膠(にべ)もありませんでした。
①-3.長男は和歌山市長選に登場
2018年7月、長男の二階俊樹さんは、和歌山市長選・現職候補の出陣式に顔を出しました。
父・俊博さんの名代としての参加です。
この時の市長選は、和歌山へのカジノ誘致が争点。
二階幹事長はカジノ推進派ですが、この点を記者に質問された俊樹さんは、
と語気を荒げて否定。
気の短さは相変わらずのようです(^_^;)
和歌山市長選の結果は、二階幹事長(名代・俊樹さん)が応援した現職候補が、見事に再選を果たしています。
◆息子②次男の立ち位置は?
②-1.次男は父をサポート
二階俊博さんの次男は、二階直哉(にかい・なおや)さん。
1972年5月22日生まれになります。[1]
次男の直哉さんは何をされている方なのでしょう?
直哉さんは、父が経済産業大臣の時に、秘書官を務めていました。
現在は、社団法人民間活力開発機構(日本のまちづくり支援)や一般財団法人東亜総研事務所(日本とアジアの交流促進)の理事。
株式会社スカイシーカー(産業用ドローン)の取締役、株式会社エヌマインド(?)の代表取締役などを務めています。
大方、お父上の活動をサポートしているようですね。
②-2.次男を巡るスキャンダル
そんな次男の二階直哉さんですが、経済スキャンダルに巻き込まれてしまいます。
2017年7月、自身が取締役を務める会社の役員が、「会社乗っ取り」で刑事告訴されたのです。
告訴された役員は、京都を地盤にしていた経済ヤクザで、過去に複数の逮捕歴がありました。
直哉さんは週刊誌の取材に対し、
“(告訴された役員が)元暴力団員ということは知りませんでした”
と、回答しています。
また、直哉さんは、この会社が日本海事協会の認証を取得する際、
と発言したとも言われています。
この件について質問を受けると、
“父の名前を出せば、認証が通るなどと言ったことはありません”
と否定。
直哉さんはこの会社の取締役を、2017年7月18日に辞任しています。
◆息子③三男が真の後継者?
二階俊博さんの三男の名前は、二階伸康さん。
1978年1月4日生まれになります。[1]
三男の伸康さんは、ANA(全日本空輸)に勤務し、商品戦略部などで活躍しました。
2012年には、大阪国際空港のANAラウンジで、利用客にデジタルコンテンツを提供するサービスを手掛けています。
最近はANAを退職し、東京で二階幹事長の秘書となっているみたいですね
サラリーマン生活が長いだけあって腰が低く、
“彼を次に推すべきだ”
と、後継者として期待されています。
◆議員生活を支えた夫人
二階俊博さんの夫人の名前は、二階怜子(にかい・れいこ)さん。
1941年1月10日生まれなので、二階幹事長より2歳年下になります。[1]
二階幹事長と怜子さんは、父親同士が友人で、和歌山の同じ小・中・高校で過ごしました。
怜子さんが大学進学で上京した際、二階さんが都内を案内したことがきっかけで、2人の距離が縮まります。
お2人は恋愛結婚だったんですね!
怜子さんは、長年、政治家の妻として選挙戦を戦ってきました。
車の運転が得意で、二階幹事長を乗せ、東京-和歌山間を移動することも多かったそうです。
長男が市長選に出馬した際は、
“御坊市のために皆さんと一緒に俊樹を働かせてやって下さい。ご支援よろしくお願いします”
と訴えていました。
2018年12月26日、夫人の怜子さんは天国に旅立ちました。
享年77歳。
多忙を極める二階幹事長ですが、夫人が亡くなる2日前には、夫婦水入らずの時間を過ごすことができたということです。
◆父親の職業は?
二階俊博さんの父親の名前は、二階俊太郎さん。
父・俊太郎さんは明治33年生まれで、和歌山県西牟婁郡日置川町(現:白浜町久木)出身です。
二階幹事長と同じ中央大学で専門部を中退し、紀伊民報記者を務めました。
後に和歌山県議会議員、稲原村村長を歴任し、御坊造船社長も務めています。
父・俊太郎さんは仕事が忙しかったため、物心がついたころから父と一緒に遊んだ記憶はないのだそうです。
◆母親は女性医師
二階俊博さんの母親の名前は、菊枝さん。[2]
母・菊枝さんは明治32年11月1日生まれで、和歌山県日高郡龍神村(現:田辺市龍神村殿原)の出身です。
実家の古久保家は十何代も続いた医師の家系で、実父の古久保良輔氏も医師。
菊枝さんは、日置小学校の代用教員として教壇に立ったこともありましたが、
医者を継いで欲しい
という父の願いを受けて、1920年に東京女子医科専門学校(現:東京女子医科大学)へ進学します。
女性医学界の先駆者であった吉岡弥生さんから医学を学び、1924年に医師免許を取得。
和歌山県御坊市新町で医院を開業していました。
戦後は主に、和歌山県湯浅保健所の医師として、地域医療に貢献されています。
◆まとめ
二階俊博さん長の妻・怜子さんは、夫の演説が好きで、演説が始まるとどんなときでも聞きに行っていたそうです。
怜子さんは二階氏のよき妻であり、一番のファンでもあったのですね
今日も二階幹事長は、どこかで演説をしているかもしれません。
怜子さんのことを思い出しながら *゜+ ゚・。*
◇脚注
- 官邸HP 二階俊博 運輸大臣・北海道開発庁長官(当時)
- 二階菊枝さんの葬送の記 1991年6月30日
◇編集後記
二階幹事長が愛用する腕時計を探しました。
インタビューに答えている時の画像です。
はっきりと見えないのですが、SEIKOのドルチェ&エクセリーヌではないでしょうか。
ドルチェ&エクセリーヌは、男性用がドルチェ、女性用がエクセリーヌというペアウォッチのシリーズです。
奥様がエクセリーヌを愛用されていたのかもしれませんね(^_-)
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コメント
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