高円宮家の三女・絢子(あやこ)さまが、守谷慧さんと婚約されることとなりました。
今回は、守谷さんの実家やご家族にスポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:守谷慧(もりや・けい)
生年月日:1986年3月24日(32歳)※2018年6月現在
最終学歴:慶應義塾大学 文学部
勤務先:日本郵船株式会社
◆実家の家柄や父親の職業は?
守谷慧さんは、出生地がはっきりしませんが、1989年9月から1992年7月までは、フランス・パリの幼稚園に通っています。
ということは、
“父親の職業は商社マンか、外交官かな…?”
と思っていたら、元・経済産業省の官僚だそうです。
経産省の官僚も、各国の大使館に務めたりすることがありますからね。
父親が経産省のエリート官僚ならば、実家の家柄は申し分ないですね(^^)v
パリから帰国した守谷慧さんは、港区立白金小学校、私立高輪中学校・高校で学び、2005年4月に慶應義塾大学 文学部に入学しました。
大学時代には、オックスフォード大学に短期留学も経験。
2009年3月に慶應義塾大学を卒業し、翌4月から大手海運会社「日本郵船」に勤務しています。
◆父親の名前や年齢は?
守谷慧さんの父親の名前は、守谷治(もりや・おさむ)さん。
1955年7月11日生まれなので、現在(2018年6月)62歳になります。
父・治さんは、東京大学 経済学部経済学科を卒業。
1979年、通商産業省(当時)に入省し、コーネル大学経営大学院でMBAを取得しました。
経産省内における貿易実務のプロフェッショナルとして知られ、貿易調査課長、安全保障貿易管理課長などにの要職を歴任しています。
2006年に経産省を退職したあとは民間に転じ、現在は「日本アルコール販売」の幹部を務めています。
非常勤講師として大学で授業を行うこともあるそうです。
◆天国の母へ結婚を報告…
守谷慧さんのお母さんの名前は、守谷季美枝(もりや・きみえ)さんです。
母・季美枝さんは、1981年に早稲田大学 第一文学部を卒業。
フランス在住中「人手が足りない」と知人に誘われて、『国境なき医師団』の本部でお手伝いを始めます。
“普通の主婦としての参加でした”
と、ご本人も話しているように、最初は、空き時間のちょっとしたボランティアでした。
1997年、『国境なき医師団』の教育部門として『国境なき子どもたち』が切り離されると、創設メンバーとして参加。
1999年に理事、2002年に副会長、2003年からは専務理事として活躍しました。
しかし、2015年7月、カンボジア出張中に急逝。
お通夜・お葬式は、ご遺族の意向により、タイ・バンコク市内のワット・アルン寺院にて執り行われています。
享年56歳。
守谷慧さんは結婚することを、天国のお母さんへ真っ先にご報告されたことでしょう。
◆未来の妻・絢子さまとの馴れ初めは?
守谷慧さんと絢子さまとの馴れ初めは、母・季美枝さんが関係しています。
季美枝さんが専務理事を務めていた『国境なき子どもたち』の関連行事に、絢子さまの母・久子さまが毎年出席されていたのです。
その関係で、守谷家と親しくお付き合いされていた久子さま。
守谷さんが『国境なき子どもたち』の理事に就任することを聞き、
“(福祉を学んでいる絢子さまが)国際的な福祉活動に興味を持つきっかけになれば”
と思って、絢子さんを紹介しました。
やがて2人の関係は交際へと発展。
久子さまの思惑を超える結果となりましたが、久子さまも喜ばれていることでしょう(*^_^*)
◆まとめ
これまで見てきたとおり、守谷慧さんの活躍の陰には、華麗なる『家族』の姿がありました。
これからは絢子さまという伴侶を得て、海運の仕事にも福祉の仕事にも一層力が入ることでしょう。
末永くお幸せに!ですね(^o^)丿
◇編集後記
守谷慧さんの勤め先、日本郵船と言えば『氷川丸』が有名ですね。
展示用スタンド付! プラモデル ★1/350 日本郵船 氷川丸 (Z28)
開戦前は大型貨客船としてシアトル航路で活躍し、戦争中は海軍の病院船として活動。
終戦時には引き揚げ帰国者を運び、再びシアトル航路に戻る…という数奇な運命をたどっています。
有事には「空母」として使用することも考えられていたそうですが、この甲板をどのように改造するのでしょうか(?_?)
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