徳仁(なるひと)新天皇陛下とともに、新しい時代の象徴となられた、皇后 雅子さま。
上皇后 美智子さまの後継者といえます!
今回は、そんな雅子さまを育んだ実家・小和田家の父親・母親・妹たちを中心に、ご紹介していきます。
旧 名:小和田雅子(おわだ・まさこ)
お 印:ハマナス
生年月日:1963年〈昭和38年〉12月9日
学 歴:ハーバード大学卒業、東京大学中退
◆実家・小和田家
①実家・小和田家の家柄
皇后雅子さまの旧名は、小和田雅子さん。
実家・小和田家のルーツは、現在の新潟県村上市を治めていた、村上藩内藤家五万石の下級武士とされています。
小和田家の古文書における初出は、江戸時代中期の1740年(元文5年)。
越後国村上藩藩士の小和田貞左衛門(貞右衛門)の子二人が早世し、城下の本悟寺で「釈入信」、「釈敬信」という法名を与えられた
という記録が残されています。
本悟寺(ほんごじ)というお寺は、現在も村上市細工町にありますが、ここは小和田家ゆかりの寺院なのだそうです。
②現在の実家
皇后雅子さま自身の実家は、東京都目黒区の洗足(せんぞく)駅近くにあります。
ご成婚当時、小和田家に通じる道はプリンセス通りと名付けられ、許可証がないと足を踏み入れることが出来ませんでした。
実家が出前をとっていたという、お寿司屋さんや鰻(うなぎ)屋さんは評判となり、大繁盛したそうです。
今ではフィーバーは落ち着いていますが、毎年6月9日のご成婚記念日には、地元の洗足商店街がお祝いをしています。
2019年5月、雅子さまが皇后になられた時には、先着100人にミニバラの鉢物が配られました。
一方、2019年1月には、雅子さまの実家前で警備中の警察官が、殺虫剤を吹き掛けられるという事件が発生。
吹き掛けた男は逮捕されましたが、雅子さまが皇后になられたことで、実家の警備もいっそう厳重となることでしょう。
③実家の家族構成
皇后雅子さまの実家の家族構成は、父、母、雅子さま、そして双子の妹の5人家族です。
それでは、お父上からご紹介してまいりましょう。
◆父親の介護も視野に…
①父親の職業は?
皇后雅子さまの父親は、小和田恆さんです。
生年月日:1932年〈昭和7年〉9月18日
出身地 :新潟県北蒲原郡新発田町
出身大学:東京大学
父・恆さんは新潟県北蒲原郡新発田(しばた)町(現:新発田市)で生まれました。
新潟県立高田高等学校を経て、1955年に 東京大学教養学部教養学科を卒業しています。
卒業後は外務省に入省し、在米大使館公使、在ソ連大使館公使、条約局長、経済協力開発機構(OECD)政府代表部など要職を歴任。
最終的に、事務方トップの外務次官まで昇り詰めました。
父・恆さんが条約局長時代に、雅子さまと当時の皇太子殿下は出会われています!
外務省退官後も活躍は続き、1994年に国連大使と国連日本政府常駐代表(特命全権大使)に就任。
2003年から15年間は、オランダ・ハーグにある国際司法裁判所の判事をつとめ、任期中には、日本人初となる国際司法裁判所所長に就任しています。
(本も出されています↓)
②父親の介護も視野に…
国際司法裁判所の判事を15年間つとめた父・恆さんですが、任期途中の2018年6月に自主的に退任し、日本へ帰国されました。
国際親善の場では元首である天皇の「義父」という立場の人間が、国際司法裁判所の裁判官というのは好ましくない
という判断があったようです。
帰国後、小和田家の実家では、リフォーム工事が行われました。
小和田夫妻はお元気ですが、年齢的に足腰が弱くなってきたため、バリアフリーに改築したのです。
上皇陛下と、雅子さまの父・恆さんはほぼ同じ年代です。
雅子さまは遠からず、W介護問題に直面されるのかもしれません。
◆母親の実家は?
皇后雅子さまの母親の名前は、小和田優美子(おわだ・ゆみこ)さん。
母・優美子さんの実家の父親は、チッソ(株)の社長・会長を務めた江頭豊(えがしら・ゆたか)さんです。
優美子さん自身は、雙葉学園を経て慶応義塾大学を卒業しています。
卒業後はエールフランス航空の東京支社長秘書を務め、小和田恆さんと結婚した後も日本ユニセフ協会(ユニセフ日本委員会)の評議員も務めました。
エリート専業主婦ですね!
母親としての優美子さんは、とても教育熱心な方です。
何としても雅子さまを、母校の雙葉学園に入学させたかった優美子さん。
幼い雅子さまを連れて雙葉幼稚園の、かつて美智子皇后の指導にあたった先生に会いに行き、
『どうか娘の雅子を指導してください』
と頼みこんだこともあるそうです。
その甲斐あって雅子さまは、小学校3年生の時に、区立小学校から田園調布雙葉小学校へ編集しています。
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