◆父親の仕事でブラジルへ
永井謙佑選手のプロフィールを見ると、広島県福山市出身となっています。
しかし、父親の仕事の都合で、3歳からブラジルへ。
帰国したのは8歳の時で、北九州市立医生ヶ丘(いせがおか)小学校に編入しました。
そして、医生ヶ丘サッカー少年団に入団し、サッカーを始めます。
中学は北九州市立浅川中学校で、サッカーを続けましたが、まだ俊足でもなく、まったくの無名選手でした。
転機となったのは、九州国際大学附属高校の時。
まず、身長が伸びて、急激に足が速くなります。
そして、高校3年生で全国高校サッカー選手権に出場し、富山第一高校相手に2得点を挙げる活躍。
2回戦では桐光学園高校に敗退しましたが、この時の活躍が目に留まり、年代別の日本代表に招集されるようになるのです。
ちなみに、2011年に永井選手がプロ入りした時には、両親はブラジルに戻っていました。
お父さん、どんな職業をされているのでしょうか?
◆母親の出身は?
永井謙佑選手の母親の名前は、千鶴子さん。
年齢は今年で61歳になります。
母・千鶴子さんは中国地方出身であるため、永井選手も広島県で育ったのでしょうね。
◆背中を追った兄
永井謙佑選手には、2歳上のお兄さんがいます。
幼少期を過ごしたブラジルでは、お兄さんの影響を受け、現地の子供達とストリートサッカーをして遊んでいました。
九州国際大学付属高校に進んだのも、お兄さんがいたから。
そして、お兄さんが高校まででサッカーをやめたため、永井選手も
大学までやって(サッカーは)終わろう
と考えていました。
しかし、福岡大学に進学後に世代別の日本代表に選ばれたことで、永井選手の人生の計画は、大きく変わっていきました。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、永井謙佑選手の活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
東京オリンピック出場もあるかもしれません!
これからも家族の応援を胸に、永井選手の挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇編集後記
永井謙佑選手が愛用するスパイクを発見しました。
こちらは、A代表初得点を決めた時の画像(日刊スポーツより)。
そして、こちらが愛用するスパイクです。
モレリア NEO 2 サックス×ホワイト 【MIZUNO|ミズノ】サッカースパイクp1ga195023
永井選手は、2011年に名古屋グランパスに入団した頃から、ずっと『MORELIA NEO(モレリア・ネオ)』シリーズを使っています。
あの爆発的なスピードを支えるため、鋭い踏み込みやターンがしやすいかどうかが、スパイク選びの重要なポイントなのだそうです(^_-)
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