自由民主党に所属する衆議院議員、堀内詔子さん。

人生の最後に食べたいものはペヤングです!
今回は、そんな堀内さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1965年〈昭和40年〉10月28日
血液型:A型
出身地:山梨県東八代郡石和町
出身大学:学習院大学文学部
◆大久保利通に繋がる華麗なる家系図
堀内詔子さんは、 山梨県東八代郡石和(いさわ)町(現在の笛吹市)の出身。
実家の小林家は、江戸時代より苗字帯刀を許されていた地元の大地主であり、明治時代に入ってからは当主の小林伝右衛門が創設した石和銀行を営んでいました。
祖父の小林中(こばやし・あたる)さんは、“影の財界総理” と呼ばれた『財界四天王』のひとりで、初代・日本開発銀行総裁をつとめています。[1]

小林家の跡地は笛吹市に寄付され、小林公園となっています
これだけでも大したものですが、本当にすごいのはここから。
家系図を見てみましょう。
母方の祖母は、松濤幼稚園を創設した林貞子さんで、この方のお父上は、明治の元勲・大久保利通(おおくぼ・としみち)氏の孫に当たります。

つまり、堀内さんは大久保利通の末裔なんですね!
大久保利通氏の孫婿は、元首相の吉田茂(よしだ・しげる)氏ですが、さらにその孫は麻生太郎(あそう・たろう)さんとなります。

つまり、堀内さんと麻生さんは親戚なんですね!

まさに華麗なる一族。
毛並みの良さは、政治家の中でもトップクラスと言えるでしょう。
◆生い立ち
堀内詔子さんは、生後3ヶ月でアメリカのニュージャージー州へ引っ越し、3歳の時に日本に帰国しました。

アメリカ生活の記憶はほとんどありません!
幼稚園は学習院幼稚園に通いましたが、立憲民主党の亀井亜紀子(かめい・あきこ)さんは幼稚園からの同級生になります。
小学校は、学習院初等科へ入学。
小学校の同級生には、元皇族・黒田清子(くろだ・さやこ)さんの夫である黒田慶樹(くろだ・よしき)さんがいました。

小学校の卒業文集には、

夢は代議士!
と書いています。
これは、お母さんやお祖母さんが、仕事と家庭を両立させる苦労を目の当たりにし、

女の人の方が威張れるように
と、考えたものです。
「威張れる」というのは子供の発想ですが、女性の社会進出を進めたいいう思いは、この頃から胸の中にありました。
中学校は、学習院女子中等科へ進学。
中学時代はテニス部に入り、100名以上のテニス部をキャプテンとしてまとめ上げました。

都中学選手権の団体戦で優勝し、関東大会でも上位入賞を果たしました!
高校は、学習院女子高等科へ進学。
高校では受験勉強を優先させるため部活をしませんでしたが、どうしてもテニスが忘れられず、結局、テニス部に入ります。
テニス部では、朝練をするため門衛さんがくる前に学校に忍び込んだり、早弁をしたりして、練習時間を確保していました。
大学は、学習院大学文学部へ進学。
◆家族構成
堀内詔子さんの実家の家族構成は、父親、母親、姉、詔子さん、妹、弟の6人家族です。
自身は22歳で結婚しており、夫との間に2人の息子がいます。
◆父親はフコク生命元社長
堀内詔子さんの父親の名前は、小林喬(こばやし・たかし)さん。[2]
1934年1月6日生まれになります。
父・喬さんは、銀行勤務を経て、フコク生命へ入社。
1991年4月には、7代目の社長に就任しました。
東武鉄道の社外監査役なども務め、ビジネス界で活躍しています。
実は、詔子さんが堀内家の地盤を継いで初めて出馬するとき、喬さんに猛反対されました。
しかし、「代議士」は子どもの頃からの夢であり、

チャンスがあれば掴みたい…!
と思っていた詔子さんは、喬さんを説得。
最終的には応援してもらい、初出馬に臨んでいます。
◆母親は大学教授
堀内詔子さんの母親の名前は、小林絢子(こばやし・あやこ)さん。
母・絢子さんは、東京家政学院大学の教授を務めていました。
専門分野は、英語コミュニケーションです。
詔子さんは幼いころ、お母さんに若草物語を読み聞かせてもらっていました。

次女のジョーに自分を重ねていました!
読み聞かせは、英語の原文だったかもしれませんね。
◆4人姉弟
堀内詔子さんは、姉、詔子さん、妹、弟の4人姉弟です。
姉弟仲は良く、姉3人はみんな男勝りで、忍者ごっこをしたり、泥団子を作ったりして遊んでいました。
母親の教育方針は、
子どもの間で上下関係・優劣をつけない
というものでした。

だから姉弟はお互いを名前で呼び合い、妹・弟が「お姉ちゃん」と呼ぶことはありません
ちなみにお姉さんの名前は、尚子さん、妹は昌子さん、弟は小林央さんと言われています。
お姉さんは大学で、ドイツ語を専攻されていました。
妹さんは、アメリカ在住時に生まれています。
弟の央さんは1969年生まれ。
フコク生命の部長職に、同姓同名の方がいるので、将来の社長候補かもしれませんね。
◆夫は富士急社長
①夫は富士急社長
堀内詔子さんは1988年3月、大学卒業の直後に結婚しています。
夫の名前は、堀内光一郎(ほりうち・こういちろう)さん。[3]
1960年〈昭和35年〉9月17日生まれなので、詔子さんより5歳年上になります。
夫・光一郎さんは、学習院の初等科、中等科を卒業。

初等科の先輩に当たります
高校からは慶應に進み、慶應義塾大学の経済学部を卒業しました。
卒業後は日本長期信用銀行に勤めましたが、1988年、家業の富士急行に転身。
翌年の1989年、20代後半の若さで、富士急行の代表取締役社長に就任しました。
詔子さんとの馴れ初めは“お見合い”だったとのことです。
②夫の実家「堀内家」
堀内詔子さんの実家も名門でしたが、夫の実家「堀内家」も相当な名門です。
古くは清和源氏(清和天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族)逸見氏堀内家の本家筋とされています。
近代では、曽祖父・堀内良平(ほりうち・りょうへい)氏が、富士山麓電気鉄道(後の富士急行)を創設し、衆議院議員も務めました。
祖父・堀内一雄(ほりうち・かずお)氏、父・堀内光雄(ほりうち・みつお)氏も富士急社長、衆議院議員を歴任しています。
2012年、義父・光雄さんが引退することになりましたが、後継者はなかなか決まりませんでした。
それを見かねた女性部の人たちは、
もう男なんかに任せてはおけない
と、詔子さんを後継者に推薦します。

自分が国会議員となることで、国の方針決定に対する女性参加率を増加させることが絶対に必要だ
と考えた詔子さん。
家族は皆、
自分のやりたいようにやればいいよ。大変だと思うけれど支えていくよ
と、背中を押してくれたのでした。
◆2人の息子
堀内詔子さんと光一郎さんの間には、2人の息子がいます。
長男の名前は、堀内基光(ほりうち・もとてる)さん。[4]
1992年〈平成4年〉1月生まれになります。
次男の名前は、堀内優光(ほりうち・まさみつ)さん。[4]
1997年〈平成9年〉12月生まれになります。
長男の基光さんは、幼稚園から中学まで学習院に通い、高校からは慶応に進学。
慶大法学部を卒業し、メガバンクに入行しています。
学習院時代、眞子さまと同級生だったので、紀子さまと詔子さんは『ママ友』として仲良くされていたようです。

そして基光さんは、妹の佳子さまと交際が噂されたことがあります。
この点、週刊誌が詔子さんに取材したところ、

実は息子は転勤して日本にいないんです。それでなかなか、ね……。はい、シンガポールに行っています。息子はお目にかかったことがないと思います。本当に恐れ多いお話です
と、交際を否定していました。[5]
◆まとめ
これまで見てきた通り、堀内詔子さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、堀米さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- FLASH 2021年10月4日 ワクチン大臣・堀内詔子は “天皇陛下のお妃候補” …最後に食べたいのは「ペヤング」のスーパーお嬢
- 週刊新潮 2017年9月21日号 次は佳子さま 水面下で囁かれる「お婿さん情報」の暗雲
- NHK 2021年10月4日 岸田内閣発足 山梨2区選出 堀内詔子氏が初入閣
- 読売新聞 2009年8月13日 2区候補予定者 堀内光雄氏の義理の娘・詔子さん
- 週刊新潮 2017年6月1日号 佳子さま、「富士急行」御曹司と熱烈交際中?

岸田内閣の家族!








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