◆医師の父親
①医師の父親
丸川珠代さんの両親は、丸川議員が6歳の時に離婚しています。
それ以来、離れて暮らす実父と“再会”を果たしたのは、2005年4月。
乗客107人が死亡し、562人が重軽傷を負った、JR福知山線脱線事故の時でした。
当時、テレ朝のアナウンサーだった丸川議員は、情報番組のスタッフルームで事件の映像を見ていたとき、
あっ!お父さんだ……
とつぶやいたのでした。[4]
そこに映っていたのは、兵庫医科大学病院の救命救急センター部長・丸川征四郎さんでした。
②災害医療に尽力した父
1995年の阪神・淡路大震災の時、父・征四郎さんが勤めていた兵庫医科大学病院自体も被災したため、病院としての役割を果たせませんでした。
このため、震災後に救命救急センター部長に就任した征四郎さんは、災害訓練を繰り返します。
訓練が奏功し、2005年の福知山線事故の時は、負傷者を無制限で受け入れ、多くの人命を救いました。
実は征四郎さんは、緊急時のマスコミ報道について、自らの編著書『大規模災害医療』でメディアを批判しています。
メディア関係者は災害医学・医療の知識を十分持ち合わせていないので、どのように多弁を労しても現場の医療需要を報道しえない。この事実は阪神・淡路大震災でもJR福知山線列車事故でも起こった事実である
この本が発売された2007年5月は、丸川議員はテレビ局でアナウンサーをしていた時期。
遠く生き別れた娘に対する葛藤が、心のどこかにあったのかもしれません。
父・征四郎さんは現在、再婚して神戸市内に住み、大阪・医誠会病院の院長を務めています。
Medical Tribune|オートショックAEDが登場、普及の課題は?https://t.co/jag0h2Cqet pic.twitter.com/Z7geQoGKxn
— カゲロウ (@Kagerou_Kazoku) January 31, 2023
◆母親も医師
丸川珠代議員は、母子家庭であるにも関わらず、経済環境は恵まれていました。
その理由は、女手一つで育ててくれた母親も医師だからです。
外科から耳鼻科医になって、2人の子供を育てたお母さん。
現在は、
患者さんの耳の下を触診して、もし癌が発見できなかったら恐ろしい
という理由で、医師の仕事からは引退しています。
◆妹は海外在住
丸川珠代議員は、環境大臣に就任したとき、
妹というべきか娘というべきか悩むところだが、そういう人間が自分たちのところに来たという思いで、お育ていただけたらありがたい
と職員を前に挨拶をして、話題となりました。
実際の丸川さんは長女で、妹が一人いますが、現在は海外で暮らしているようです。
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