栗城史多の『家族』~お嫁さんや子供はいたのか?17歳で母親を亡くす…

2018年5月21日、登山家の栗城史多さんがエベレスト登頂中に亡くなりました。

今回は、そんな栗城さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

【本人プロフィール】
名前:栗城史多(くりき・のぶかず)
生年月日:1982年6月9日
没年月日:2018年5月21日(享年35歳)

スポンサーリンク
レスポンシブNEO

◆お嫁さんや子供はいたのか?

栗城史多さんは、35歳と良いお年でしたが、お嫁さんや子供さんがいたのでしょうか?

結論としては結婚していなかったということです。

常に死と隣り合わせの登山家。

ましてや栗城さんは、「単独」と「無酸素」登頂にこだわった冒険家です。

結婚してお嫁さんや子供を持ってしまうと、このような挑戦は出来なくなってしまうでしょう。

◆17歳の時に母親を亡くす

栗城史多さんが高校生になったころ、母親の肺にがんが見つかりました。

しかし栗城さんは

“すぐに治るよ”

と現実逃避をして、お見舞いにもあまり行きませんでした。

その後、がんは全身に転移していき、とうとう末期を迎えます。

最期の夜、お母さんは残り少ない力を振り絞って、

“ありがとう”

と口を動かし、眠るように息を引き取りました。

旅立っていく母親の姿を見て、

“命には限りがある。一生懸命生きなければいけない”

と強く思いました。

しかし、高校を卒業して上京して、結局何もせずに北海道に戻って、必死で何かに取り組むことが出来なかった栗城さん。

“そういう自分にリベンジしたい。このまま何もしなければ僕はダメになってしまう”

そう考えて、大学3年の時、北米最高峰のマッキンリー(標高6,194m)に挑戦し、成功を収めました。

「登山家・栗城史多」は皮肉にも、母親の旅立ちが誕生させたのでした。

◆父親の職業は?

栗城史多さんの父親の名前は、栗城敏雄さん。

父・敏雄さんは北海道の田舎町で眼鏡屋さんをやっています。

しかし父親は、眼鏡屋さんの商売を“副業” と呼んでいました。

栗城さんが小学3年生の時、父親は突然、

“この町に温泉を掘りたい”

と言い出して、河川敷で一人、温泉採掘を始めました。

すると3年後、本当に温泉が沸いて出てくるではありませんか。

その光景を見て、栗城さんは、父親が眼鏡屋を “副業” と呼んでいた理由が分かりました。

お父さんの本当の職業は、人が喜ぶことに全力で取り組むことだったのです。

ちなみにその温泉施設の運営は自治体で、お父さんには1円も入りませんでした。

しかし、温泉が湧くことで街の人や観光客が喜んでくれる…

お父さんはそれだけで満足だったのです。

父・敏雄さんは栗城さんが帰らないことを知り、

“自分の好きなエベレストで消えた。ありがとうございます。皆さんに助けてもらって、”バカ野郎”とは言えない。よく今まで頑張ったと思う”

と語りました。

◆まとめ

これまで見てきたとおり、栗城史多さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。

今ごろ天国で、お母さんとの再会を果たしていることでしょう。

ご冥福をお祈り申し上げます。

◇編集後記

栗城史多さんは、登山時にはこちらの玄米酵素を愛用していました。

【玄米酵素株式会社】 ハイ・ゲンキスピルリナ入り(顆粒)3.5g×90袋 <玄米酵素・げんまい酵素・ゲンマイ酵素・ハイ元気・ハイゲンキスピルリナ>

玄米の良さを知ったのは、一足先に旅立った、お母さんの影響だったそうです。

《ロシアW杯特集》

いよいよロシアワールドカップが開幕!

世界に挑むサムライと、戦士たちを支える家族のストーリーをご紹介していきます。

コロンビア戦に勝利したことを記念して、おもしろ画像をまとめてみました。

スポンサーリンク
レスポンシブNEO
レスポンシブNEO
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です