第101代の法務大臣を務めた、河井克行さん。
小学校時代のあだ名は「スネ夫」です!
今回は、そんな河井さんの妻や子供など『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1963年〈昭和38年〉3月11日
出身:広島県
最終学歴:慶應義塾大学法学部政治学科
◆実家は薬局
河井克行さんは、広島県三原市の出身。
- 広島市立安(やす)小学校
- 広島学院中学校
- 広島学院高等学校
を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業しています。
三原の生家は、六畳二間の平屋の賃貸でお風呂がなく、幼少期の河井さんは母親に手を引かれ銭湯に通っていました。
家のそばにある防火水槽の上で、いつも黄金バットごっこをして遊んでいたそうです。
その後、広島市内に移った河井家は、薬局を経営されていて、裕福な家庭だったと報道されています。[1]
お父上は薬剤師さんでしょうか?
一説には、お父上は農協系病院の事務長を務めていたとも言われています。
◆妻・河井案里
①妻・案里氏との馴れ初めは?
河井克行さんの妻の名前は、河井案里(かわい・あんり)さん。
1973年〈昭和48年〉9月23日生まれなので、河井さんより10歳年下になります。
2人の馴れ初めは、河井さんが落選浪人中に、知人から紹介を受けたこと。
知人とは、科学技術振興事業団の専務理事だった沖村憲樹(おきむら・かずき)さんです!
沖村さんを交えて夕食をともにしましたが、河井さんはすぐに気に入り、交際・結婚へと発展したそうです。
ちなみに結婚式の仲人は、元総理大臣の橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)さん。
司会は克之さんの友人であり、元農林水産大臣である吉川貴盛(よしかわ・たかもり)さんが務めました。
②妻・案里氏の経歴
妻・河井案里さんは、宮崎県延岡市の生まれ。
- 宮崎大学附属小学校
- 宮崎大学附属中学校
- 宮崎県立宮崎大宮高等学校
をそれぞれ卒業しています。
高校時代、生徒会役員をやっていた案里さんは、“マフラーとコート着用の自由化運動”に取り組みました。
学校に対して、
いくら南国でも冬は寒い。マフラーとコートぐらいは自由に着させてほしい
と申し入れたのです。
残念ながら、学校には認められませんでしたが、こうした経験から、
政治を勉強したい
と考えるようになり、慶應義塾大学総合政策学部へ進学しました。
卒業後は、大学院の政策・メディア研究科 修士課程まで修了しています。
大学院修了後は、科学技術振興事業団に勤務。
広島文化短期大学非常勤講師を経て、2003年に広島県議会議員選に初当選しました。
立候補したきっかけは、河井さんと結婚して選挙のサポートを始めたこと。
一緒に選挙区を回っていたら、河井さんから、
君は政治に向いているよ
と、県議選への出馬を勧められたのでした。
③案里氏と離婚しているのか?
2020年6月、河井克行さんと案里さんは、公職選挙法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕されました。
そして2020年末には、
河井案里が克行元法相に離婚調停を申し立てた!?
というニュースが駆け巡ります。[2]
さらに2021年1月、案里さんに出された判決文の中には、
克行は(略)、本件当時は被告人の配偶者であった
と書かれており、離婚のニュースに信ぴょう性が加わりました。
2021年6月、河井さんには、懲役3年、追徴金130万円の実刑判決が言い渡されました。
そして収監された東京拘置所には、執行猶予がついた案里さんが面会に行く姿が目撃されています。
案里さんの左手薬指には、指輪は嵌められていませんでした。[3]
◆子供はいるのか?
河井克行さんの公式ホームページを拝見すると、
家族:妻・河井案里
とだけ記載されています。
案里さんが政治家としてバリバリ働いている姿から見ても、子供はいらっしゃらないのでしょう。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、河井克行さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、河井さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- 日刊ゲンダイ 2016年3月3日 元秘書が暴力を告発…河井克行首相補佐官の“凄まじい悪評”
- 週刊文春 2021年1月7日号 河井案里が克行元法相に離婚調停を申し立てた!?
- FRIDAY 2021年9月28日 河井案里元参議院議員「東京拘置所通い」で見せた複雑表情
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