公選第17・18・19代の山形県知事をつとめる、吉村美栄子さん。
リクルート出身です!
今回は、そんな吉村知事を取り巻く『家族』の物語です。
旧 名:鈴木美栄子
生年月日:1951年(昭和26年)5月18日
最終学歴:お茶の水女子大学
家族構成:
【実 家】父親、母親、兄2人、姉2人
【独立後】夫(死別)、息子、娘
◆実家は山形・大江町
吉村美栄子さんは、山形市の北西、山深い山形県大江町沢口で生まれました。
地元の大江町立七軒(しちけん)西小学校(現在は閉校)、大江町立七軒中学校(同)から、県内有数の女子高である、山形県立山形西高等学校に進みました。
山形西高の3回下には、女優の渡辺えりさんがいます
◆父親と母親
吉村美栄子さんの両親は、旧満州で終戦を迎えました。
父・鈴木栄太郎さんはその後、シベリア抑留を経験しています。[1]
父・栄太郎さんは帰国後、営林署に勤め、家族を養いました。[2]
政治的には、父親が社会党、母親が自民党を支持していましたが、
違う思想の人が一緒に暮らしても良いんだな
と、大人になってから思ったそうです。
◆5人兄弟の末娘
吉村美栄子さんは、5人きょうだいの末娘に生まれました。
お兄さんが2人、お姉さんが2人います。
お兄さんのうち一人は、早稲田大学に進んでいます。[3]
◆病死した夫
①夫との馴れ初め
吉村美栄子さんは1976年、25歳くらいの時に結婚しています。
お相手は会社員の、吉村和彦さんです。
2人の馴れ初めは、高校生の時。
吉村さんは高校3年生の時に、山形西高の代表として受験生番組に出演します。
この時、山形東高の代表だったのが、和彦さんでした。
その後、東大法学部に進んだ和彦さんと、お茶の水女子大に進んだ吉村さんは、東京で再会し、交際が始まったのでした。
②夫は肺がんで…
夫・和彦さんの父親の名前は、吉村敏夫さんといって、元山形県出納長を務めた方でした。
また、夫の叔父である吉村和夫さんは、元山形市長です。
そんな家系の事情もあったのでしょう。
夫・和彦さんは親から帰郷を望まれ、会社を辞めて、司法試験に挑むことになります。
家族で夫の実家に転居し、和彦さんは山形市内に弁護士事務所を開業しました。
新しい人生が始まったかに見えた矢先、和彦さんは肺がんで亡くなります。
まだ45歳の若さでした。
◆娘
吉村美栄子さんには、娘さんと息子さんがいます。
娘さんは現在、東京にいらっしゃるようです。
◆同居する息子
吉村美栄子さんの息子さんの名前は、吉村展彦さん。
展彦さんは國學院大學の出身で、大学時代は射撃部の主将をつとめました。[4]
吉村さんが山形知事選に初挑戦するときは、
母はもともと決心の速い人。私は、本気なら応援すると言いました。知事の仕事は、県庁マンだった祖父から聞いたことがあったと思う
と話し、実働部隊として母を支えました。
現在は、山形県神社庁に勤めています。
2019年(平成31年)4月27日に結婚。
2020年3月には子供が生まれ、現在は、妻子とともに吉村さんと同居しています。
◆まとめ
これまで見てきた通り、吉村美栄子さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、吉村知事の挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
-
朝日新聞出版 2017年4月24日 AERA(アエラ) 2017年5/8号
- 朝日新聞デジタル 2021年1月9日 県知事選、現職・吉村氏と新顔・大内氏の横顔は
- 日本経済新聞夕刊 2015年8月10日 心の玉手箱
- 國學院大學体育連合会射撃部ホームページ 2021年1月25日確認
コメント
吉村美栄子知事は昭和26年生まれの五人兄妹の末っ子と書いてあり、終戦は昭和20年でお父様はシベリア抑留と書いてありますが、上の御兄姉様は満州で産まれた方もおられるですよね。シベリア抑留は何年経験あり、お母様はその間何処におられたですか。満州に渡ったのは昭和7年の開国前ですか開国後のどちらで、ソ連軍が無条件降伏後に一気に満洲に入って行ったと聞いてませんか。
お母様だけ先に日本に引き揚げて来たですか分かる範囲で教えて下さい。
宜しくおねがいします。
コメントありがとうございます。
シベリア抑留開始:昭和20年
吉村知事出生:昭和26年
これらは客観的事実であるので、知事が生まれる一定期間以前にお父様は戻られたのだと思われます。
参照した資料に抑留期間の記載はありません。よろしくお願いいたします。